気候危機、そして資本主義と民主主義の危機 ~はたして人類の平和的帰結のデッサンは描けるのか~ 古屋 力

2022.11.29 掲載

3. グローバル・サウスと気候危機

グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民を指す「グローバル・サウス(Global South)」という概念は、必ずしも、厳密に南半球の途上国をさす意味ではないが、今日では、先進諸国を象徴する「グローバル・ノース(Global North)」と対峙する言葉として、国際政治等の学会のみならず、一般でも広く使われつつある※5。国連は、77の国と中国を、グローバル・サウスに分類している。

グローバル・サウスの定義は3つある※6。①冷戦後の「第三世界」に代わる呼び方を表す。資本主義のグローバリゼーションによって、マイナスの影響を被る人々や場所を指す。②地理で南に位置しているかに関わらず、豊かな国かどうかの境界線を表す。単に「サウス」ではなく、「グローバル」が付くことで、地理的には南半球に位置していても経済的に豊かな国との混同を取り除く。③南の国々の連帯を表す。グローバル資本主義の権力に対して、世界の“南”が互いに認め合い、自分たちの状況を共有するものとして、南のコミュニティーを意味する。

資本主義は、その自己増殖の属性ゆえに、人間だけでなく、地球環境からも節操なく貪欲に掠奪する。そして、問題解決を先送りしながら、負荷を外部に転嫁しながら経済成長を続ける。その最大の犠牲者が、他ならぬグローバル・サウスである。

グローバル・サウスが被った典型的な環境問題としては、プラスチックごみ問題がある。先進国からプラスチックごみの多くが途上国へ輸出されていることが問題となった※7。資源と言う名目で輸出されたが、グローバル・サウス諸国内では、必ずしも正常にリサイクルされてきたわけではなかった。野積みによる発火でダイオキシン発生など環境問題の他に健康問題や人権問題など様々な課題が浮き彫りになった。こうした問題により、中国は、すでに2017年に廃プラスチック輸入を禁止している。「バーゼル条約」は、廃棄物の国境移動を国際的に規制しており、こうした問題を受け、さらに2019年に改正され、2021年より、汚れたプラスチックを輸出する際には事前に相手国に了承を得る必要があることになっている。

とりわけ、グローバル・サウスが被る被害で深刻なのが気候危機である。グローバル・ノースの起こした気候危機のグローバル・サウスに対する責任は、深刻で極めて重い。この2022年夏、パキスタンでは、気候危機の影響で発生した異常なモンスーン豪雨によって、なんと、国土の3分の1が水没し、3300万人が影響を受けた。そのため、多くの死傷者が出た。そして、家畜の太宗を失い、多くの人々が、不健康で劣悪な環境に放り出されたままである。その被害の規模と悲惨さは、先進国の被った被害とは、けた違いで比べ物にならない。パキスタンはじめグローバル・サウスが毎年被っている被害は、国連が定める「生命に対する権利」「食糧に対する権利」「健康に対する権利」等の基本的人権を著しく蹂躙するものである※8。深刻なのは、これが人災であるという事実である。グローバル・サウスは、自らは、さほど気候危機の元凶たる温室効果ガスを排出してこなかったにもかかわらず、すでに気候危機のインパクトである熱波、干ばつ、洪水、作物の不作、人の移動の矢面に立たされており、不条理にも、多くのかけがえのない人命が奪われている。グローバル・サウスは、明らかな被害者である。そして、気候変動を引き起こしたのは、グローバル・ノースの先進国であり、その被害を受けるのは化石燃料をあまり使ってこなかったグローバル・サウスと将来世代である。この不公正を解消し、気候変動を止めるべきだ※9。いまや、グローバル・ノースの企業や富裕層の責任を追及し、気候危機の影響を最も受けるグローバル・サウスの人々や、移民・難民、人種マイノリティ、女性、障碍者、若者、貧困者、労働者、先住民等の弱者と共に「気候正義」の実現をめざすことが、人類共通の喫緊の最重要課題となっている。すでに、人権保護と持続可能な発展に気候危機が素深刻な悪影響を及ぼしていることに対しては誰しも異論がなく、世界各地で気候変動訴訟も起きており、基本的が現在そして将来の気候危機の影響で侵害されないよう、国が温室効果ガス排出削減策や適応策等の措置をつくことが義務化されており、また、国連は、人権理事会において、気候変動に関わる人権の促進と保護に関する特別報告者の任命を行う等、厳しい監視体制をひきつつある。もはや、気候危機とグローバル・サウスの問題は、深刻な人権問題であり、加害者であるグローバル・ノースの先進諸国は、自己の見苦しい正当化や責任回避に拘泥するのではなく、潔く、自己責任を認識し、企業にも行動変容を迫りつつ、毅然と気候危機への対策を遂行してゆかねばなるまい。

※5 ポスト冷戦後時代の国際開発研究の分野で、グローバル・サウスの台頭が注目されている。グローバル・サウスを含むG20加盟国は経済規模や二酸化炭素(CO₂)排出量で世界の約8割、貿易額で約9割、総人口は3分の2を占める。そしてG20では今年、インドネシアが議長国を務め、来年はインドが担う。今や、地球規模課題を解決するためには、グローバル・サウスを含むG20の協調は不可欠であり、グローバル・サウスが誰とどのように連帯するかが世界を大きく左右する。(出所)大野泉(2022)「台頭するグローバル・サウス(政策研究大学院大学(GRIPS) 教授)なお、グローバル・サウスの国家間の権力の非対称性も重要なポイントである。不平等は、北南関係に限定されたものではなく、南の国家間の関係にも浸透している。中国、ブラジル、インドなどのようにグローバル・サウス内における強力な経済と地域大国の出現は、すでに北によって疎外された国家の間で、新たな疎外と支配の問題を提起している。(出所)Stephen McGlinchey(2018)“International Relations Theory”(Lina Benabdallah)

※6 アン・ガーランド・マーラー准教授による定義。Anne Garland Mahler(2017)”What / Where is the Global South? ”(University of Virginia)"Global South." (Oxford Bibliographies in Literary and Critical Theory)

※7 日本でも、プラスチックは、リサイクルするには人件費が高いことから、これまで主に中国などのアジア諸国に輸出されてきた。

※8 「人間環境宣言(Declaration of the United Nations Conference on the Human Environment)」いわゆる「ストックホルム宣言」がされたのは、いまからちょうど半世紀前の1972年である。その中の〈原則〉第1項で、「人は,尊厳と福祉を保つに足る環境で,自由,平等および十分な生活水準を享受する基本的権利を有するとともに,現在および将来の世代のため環境を保護し改善する厳粛な責任を負う」とし,環境に関する権利と責任を謳った。そして、この2022年7月28日に、国連総会で、「清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利」を人権と認める決議を採択した。2021年10月に国連人権理事会が、清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利を認める決議を初めて採択したことを受けた総会決議である。

※9 グローバル・ノースの経済とその経済成長は、グローバル・サウスの労働力と資源に完全に依存している。実態的には、植民地時代の延長である。グローバル・ノースは、気候の崩壊を引き起こしている過剰排出の90パーセント以上に責任がある。グローバル・サウスからの大量の資源のネットフローが生じており、これはグローバル・ノースの GDP の 25パーセントに相当する。これらの資源と能力は、本来であれば、グローバル・サウスにおいて、住宅、食料、医療などの地域の人間の必要を満たすために使用できたはずなのに、実際にはグローバル・ノースの資本によって着服・略奪されている。(出所)Jason Hickel (2022) ”The Global South has the power to force radical climate action”

     

4. 民主主義の危機

「民主主義が完璧である、あるいは万能であるとは、誰も思っていない。実際、民主主義は、最悪の政治形態であると言われてきた。これまでに試されてきた他のすべての形態を除けば・・・」と、いみじくも民主主義の本質を揶揄したのは、かの英国元首相チャーチルであった※10

デーモス(民衆)とクラトス(支配)という言葉に由来する民主主義は、元来、一部の独裁者によってではなく、ごく普通の人々が主役として、社会の大切なことを自ら決定する政治体制を指すが、それが、いまや、後退しつつあり、深刻な危機に直面している。

元来、人類は、その個々人の知識や技術等の能力や運や私的所有する資源に決定的な格差があり不平等な存在であった。それが、市場競争を伴う資本主義システムによって、強者と弱者の間の富の格差が、さらに拡大し顕在化した。そこで、深刻な不条理が蔓延した。弱者の多くは不満を持ち、疎外を感じ、不幸に陥った。こうした中で、人類社会は、その世界の太宗において、経済は、強者主導の資本主義、政治は弱者尊重の民主主義という2軸両輪で、相互に牽制しながら起動してきた。資本主義では、ごく少数の強者が、地球上の有限な資源と弱者から構成される労働力を活用して経済を牽引し、競争によって経済を発展させ、利益を生み、富を増殖させ、市場の複利の魔力で資本を増殖させ、私的所有権で、それを囲い込んできた。そして、それによって、人類の間に、圧倒的な富裕層と貧困層分断と格差と不条理が起きた。方や、民主主義は、異質な思想や利害をもつあまたの人々が平等に政治参加することを通じて、過剰な権力集中を抑止し、公正な普通選挙を通じて政治決定者を選び、行政の執行によって富の再分配を通じて、格差と不条理を解消する機能を果たしてきた。民主主義は、弱者たちの一種の嫉妬の正当化であるとの揶揄もあるが、暴れ馬の資本主義をなだめる機能を担ってきたことは事実であろう。

しかし、現下の民主主義の駆動装置たる選挙システム自体には、そもそも、致命的な欠陥があった。 選挙制度は、実に古典的な仕組みである。一般市民が政治に何を求めているかについてのデータを、どの政治家かどの政党かを投票によって収集して決める一種の情報収集・計算システムである。市民は選挙をする時には、誰に投票するか、どの政党を支持するか、自由な権利を有する。しかし、一旦選挙が終了し、当選者が議員となり権力を持ち、行政が稼働開始するや否や、立場は逆転する。市民は、自由を剥奪され国家や自治体に隷従する立場に追いやられる。しかも、一括的な政治公約を根拠に1人の候補者や政党を選んで投票する現下の選挙システムでは、物価問題や気候危機問題から原発問題や不妊治療問題に至るまで幅広い政治課題を、一括して1人の立候補者に託する仕組みであるが、民意を正確に政治に反映させることは事実上不可能である。これは、誰しもが疑問に思っていることであろうが、投票した政治家や政党が掲げた政策すべてに賛成しているわけではない。そこにミスマッチが起こる。なかば「白紙委任状」を無防備に立候補者に託するに近いのが実態である。加えて、政治家は、有権者に対して、得票につながりそうな耳触りのよい有権者にとってメリットを強調できる政策を開陳しコミットすることは喜んでするが、有権者にとって痛みを伴う未来のための改革や、いますぐ直接メリットを実感しにくいグローバルな政策については、及び腰になりがちである。往々にして、政策論議が、ポピュリズム的かつ近視眼的で、大局観に欠ける貧弱で低俗なものになりがちである。しかも、「公約、その場限りの原則」とか「一旦釣り上げた魚に餌を挙げない」と揶揄されるごとく、一旦当選した政治家は、選挙で公約した政策遂行への取り組み度合いと自由度には個人差があり、政策の不履行に対する市民からの追及もあまり厳しくないケースも散見され、任期中の政治活動は、結構奔放である政治家も多い。だから、国民の過半数が望んでもいないのに、政権の一方的な判断で、勝手にオリンピックや国葬が強行されたりするのである。これは一種の詐欺行為に近い。こんな選挙システムで、民意を正確に反映した政治が実現するわけはないのである※11。そこに民主主義の初歩的な綻びが見える。

国際政治に目を転じると、民主主義の崩壊は、さらに悲劇的ですらある。かつては、世界中で、いずれやがては、すべての国が民主的な国家へと向かうのではないかと楽観していた時期があった。1989年11月9日に冷戦の象徴ともいうべきベルリンの壁が崩壊し、同年12月には、地中海のマルタ島で、ゴルバチョフとジョージ・H・W・ブッシュが会談し、冷戦終結宣言をした。それ以降、今日に至る30年間は、民主主義への楽観的期待も纏いつつ、世界中が、恒久的な平和構築に向けた国際秩序造りに向って試行錯誤をしてきた。むろん、その間も、依然として非民主的国家群は存在し、各地で大同小異の紛争やテロはあったし、2016年の英国が欧州連合(EU)の離脱や、米国トランプ大統領誕生等、様々な懸念すべきやっかいな兆候はあったものの、なんとか、かろうじて、国連を軸とした恒久的な平和構築に向けた国際秩序造りに向け匍匐前進をしてきたのであった。

しかし、悲しいことに、その国際秩序造りへの期待は、2022年2月のウクライナ危機によって、脆くも打ち砕かれた。ロシアによるウクライナへの軍事力の一方的な行使による国境線の現状変更を目指した暴挙は、それを正当化をする余地はない。そして、ミゼラブルなことに、時代の歯車は大きく逆回転を始めた。冷戦終結時に米国が抱えた幻想にも似たリベラル覇権戦略への慢心と自己破壊的な過剰拡張によるグローバリズム経済は、先のリーマンショックで瓦解し、ついに、今回のウクライナ危機でのプーチンの暴挙は、こともあろうに、肝心要の民主主義も破綻させてしまった。国家の防衛ではなく、国家の拡大のための武力行使という禁じ手を臆面もなく使った独善的暴挙である。いままで試行錯誤しながら人類が地道に築き上げてきた恒久的平和構築に向けた民主主義プロセスが、かくも下劣で一方的なロシアによる侵攻で、もろくも瓦解しつつある。こともあろうに、国連の安全保障理事会では、ロシアに対してウクライナからの軍の即時撤退などを求める決議案が常任理事国ロシア自身の拒否権によって白昼堂々と否決された。民主主義の脆弱性が、プーチン大統領の暴挙によって露呈し、民主主義への危機意識が、一気に世界中を覆った。このプーチンの戦争は、前代未聞の核恫喝を伴う、おぞましい戦争犯罪による人道危機である。同時に、気候危機を加速させ、根深い深刻なエネルギー危機を引き起こした意味でその罪は三重に重い。加えて、独善的かつ一方的なプーチン大統領の暴挙によって、一気に民主主義の危機の衝撃を世界中の人々に与えた事態は、実に深刻である。「民主主義は繊細な花のように育てるのが難しい。独裁は雑草のように条件を選ばない。」という識者の言葉は正鵠を射ている※12。そして、国際政治とは、権力闘争が繰り返されてきた空間であったことも事実である。国家より権威において上位の国連が、実効的に展開できる強制力に限界があることも、そのため、国際政治空間が、ややもすると、無政府状態に陥ることもある。しかし、有史来、あまたの独裁専制国家の悲劇が物語ってる通り、征服によって勝ち得た状態は、長続きしないものである。暴力の力で強引に一つにまとめても、それをいつまでもつなぎ止めておくことができず、新しい統一体も瓦解していくのが必至だ。

むろん、杞憂なら良いのだが、近年では、ロシア以外にも独裁的な権威主義国家が増えつつあり、はたして、2500年前の古代ギリシャに源流をもつ民主主義が、ここにきて脆くも崩壊し、民主主義を蝕むこの病巣が、あたかも癌細胞のごとく、世界中に転移伝播拡大することにはならないのかとの懸念がある。現に、民主主義国家の数は、2005年の89カ国をピークに減少傾向になり、2021年には83カ国に減少してきているが、一方、参政権や報道の自由などに制限を加えている専制主義国家は、2005年には45カ国だったが、2021年には56カ国にまで拡大したとの実に残念な報告書もある※13。スウェーデンのヨーテボリ大学政治学部内にあるV-Dem研究所(V-Dem Institute)は※14、世界の民主主義の状況を説明するレポート『Democracy Report』を毎年発行しているが、民主主義的な国家ほど経済成長が低迷していることが明らかになっている。専制主義国家の国内総生産(GDP)は1990年には世界の6.2%にとどまっていたが、2021年には26.4%と急拡大していることは、無視できない深刻な事実である。加えて、耳に痛い話ではあるが、民主主義とコロナ死者数の間に、強い正の関係があるとの報告もある。民主主義国家ほど、経済失墜が大きかっただけではなく、コロナのダメージも大きかったのである。

いまや、民主主義は、人々の大切な命や富も担保できないほどの機能不全に陥っているが、とりわけ2010年以降顕著になった一部の政治家のポピュリスト的言動や、ヘイトスピーチ、政治的分断、保護主義的政策による自由貿易の縮小等々の様々な脅威によって、その存亡の危機にすらある。元来、政治家は、投票してくれる市民にとって痛みを伴う改革の即断即決が苦手であり、問題の先送りになりがちであり、大局観に基づく長期的視点にたった政治判断と行動が不全になりがちである。こうした短期的視点に囚われがちな主権者の緩慢で蒙昧な意思を忖度し、政治家自身が保身に逃避している民主主義国家の機動性の欠如と煮え切らなさが、民主主義の危機を招いていることは、明らかである※15

※10 英国のチャーチル首相が冷戦初期の1947年に下院で演説した一節。(International Churchill Society)

※11 「今の選挙民主主義は、詰んでいる」という声をよく。政治的無関心、政治不信を抱える人が増えてきているのは、時代遅れの制度に無意識に絶望している人が多いからではと、選挙制度の限界を喝破する識者も多い。そして、AIやプログラムを駆使して、世の中に分散している大量の意見や思想、考え方に関するデータを集約し、分析し、政治の方向性決めるという、選挙制度に代わるまったく新しいシステムへのパラダイムシフトや、社会で生じている「歪み」を、1つ1つ正してゆき、世の中全体の幸福度を高めてゆくための「マッチング理論」を考察している研究者も登場しつつある。(参考)小島武仁、成田悠輔他(2022)『天才たちの未来予想図』

※12 (出所)ユヴァル・ノア・ハラリ他(2021)『自由の限界――世界の知性21人が問う国家と民主主義』

※13 世界各国の民主主義の度合いを評価する米国の人権監視団体「フリーダムハウス」がまとめた2022年の年次報告書による。専制主義国家の国内総生産(GDP)は1990年には世界の6.2%にとどまっていたが、2021年には26.4%となっており、第一生命経済研究所の石附賢実マクロ環境調査グループ長は、「影響力は無視し得ない規模にまで広がっている」と指摘する。

※14 V-Dem研究所(V-Dem Institute)のV-Demとは、民主主義の多様性(Varies of Democracy)を意味し、世界中の民主主義を概念化して測定している。民主主義を、選挙、自由、参加、熟議、平等からなる5つのハイレベルな原則で区別し、これらの原則を測定するためのデータを収集し、分析し、世界の民主主義の状況を説明するレポート『Democracy Report』を毎年発行している。(出所)V-Dem Institute (2020)“V-Dem: Autocratization continues but resistance grows”

※15 民主主義の危機は、日本でも顕著である。ここ10年、意図的に選挙に勝てるタイミングで衆院解散が繰り返され、選挙に勝った後は、みそぎが済んだとばかりに、政権運営の評価や検証、反省や修正が十分になされない状態が続き、それが悪しき習慣化している。安倍政権時代の特定秘密保護法、安全保障関連法、森友学園問題、「桜を観る会」問題、アベノミクス等の看過できない諸問題の検証がないまま菅義政権に代わり、反対論も根強かった東京五輪・パラリンピックも強行開催。岸田文雄首相は、さらにその深く掘り下げた検証もなく、さらには、国民の過半数が反対している中で、安倍国葬を強行開催している。こうした一連の歴代政権与党の言動が、国民主権と民主主義を蹂躙していることは、火を見るよりも明らかである。

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