気候非常事態―気候がティッピング・ポイント(転換点)を超えた、今こそカーボンニュートラルのアクションプランを」

2022.11.9 掲載

気候システムがティッピング・ポイントを超えることが気候非常事態(Climate Emergency)だと考えられる。先ずWMO(世界気象機関)の報告書(United in Sciences 2022)によって地球温暖化の現状を復習しておこう。CO2濃度はMauna Loaで2022年5月に420.99ppmとなり昨年の419.13ppmより増加している。化石燃料由来のCO2排出量は2020年に世界的なコロナウィルスによるロックダウンで5.4%低下したが、その後社会経済活動の回復に伴い増加し、2022年1月~5月の世界の排出量は2019年の同時期の排出量を1.2%上回った。2015年~2021年の7年間の世界の平均気温は観測史上の最高温度を記録し、2018年~2022年(6月まで)の平均気温は産業化前平均(1850~1990年)と比べて1.17±0.13℃高い。2022~2026年の各年の平均気温は1.1~1.7℃の範囲と予測され今後5年のうち1年がパリ協定の目標値1.5℃を超える確率は48%と計算されている。現在の各国の気候政策では今世紀中に世界の平均気温は66%の確率で2.8℃上昇(2.3~3.3℃範囲)すると予測されている。すなわち私たちは間違った方向に進んでいるのである(We are heading in the wrong direction)。世界人口の55%の42億人が都市に居住し、世界のCO2排出量の70%を占めている。2050年までに970都市に居住する16億人が3ヶ月間、平均気温少なくとも35℃にさらされると予測されている。都市は気候変動との戦いにおける主戦場なのである。

2022年9月に雑誌Scienceに最新の論文が掲載され、ティッピング・ポイントを再評価したところ1.5℃を上回る地球温暖化で複数のティッピング・ポイントが突破される可能性が高いと結論された(参考文献1)。筆者は2007年~2009年にかけて『温暖化地獄』3部作をダイヤモンド社から出版した(参考文献2)。2008年に出版した2冊目の本では当時論文が公開されたばかりのティッピング・ポイントについて詳細に紹介している。本稿ではこの15年間の間に気候のティッピング・ポイントについて科学的理解がどのように深められたかについて、また気候政策上の意義について述べてみたい。

ティッピング・ポイント(気候転換点)に本当に接近しているとすれば、それは気候非常事態であり、気候非常事態宣言を発出して市民全体で危機意識を共有し、カーボンニュートラル実行計画を作成して社会を挙げて実施しなければならない。2021年6月に日本政府はグリーン成長戦略を打ち出した。2050年カーボンニュートラル宣言をする自治体も785を超えたが、気候非常事態宣言を発出した自治体は124にとどまっている。

ティッピング・ポイント(Tipping Point)の言葉のティッピングとはどんな意味だろうか。ティッピング・ポイントはもともとマルコム・グラッドウェルが使った言葉である。あるアイデア、流行、社会的行動がしきい値を超えると一気に野火のように広がることを指している。米国北東部の比較的古い都市において、アフリカ系アメリカ人の人口比率が約20%に達すると、その地に残っていた白人が一斉に市外へ脱出することを社会学者が町が傾く(tip)と形容したのが起源とされる。その後ほんのわずかの地球の表面温度(世界の年間平均気温)の変化により地球気候のサブシステムが急激に状態変化を起こすことにティッピングという言葉が使用されるようになった。2005年9月にベルリンの英国大使館で英独ワークショップが開催されティッピング・ポイント(気候転換点)のある地球気候システムの部分系(ティッピング・エレメンツ)について討議が行われた。LentonとSchelnhuberらは今世紀に問題になりそうな次のようなティッピング・エレメンツを取り上げた。

●夏の北極海氷の消失
●グリーンランド氷床の融解
●北方林の枯死
●大西洋南北熱塩循環
●サハラの再緑化と西アフリカモンスーンのシフト
●アマゾン熱帯雨林の枯死
●エルニーニョ南方振動
●西南極大陸氷床の崩壊

この中でも夏の北極海氷の消失は既にティッピング・ポイントを超え、グリーンランド氷床の融解もティッピング・ポイントに近いと考えられた。40年前には750万平方キロメートルあった9月の北極海氷面積が2007年9月16日に413万平方キロメートルまで減少し、当時の衛星観測史上の最小値を記録したことがその結論の背景にある。

その後LentonとSchelnhuberらの論文以降、200余りの論文が発表され、それらを基にティッピング・ポイントの詳細な再評価を行ったのが2022年9月に公表されDavid Armstrong McKayらの研究である(参考文献1)。その結果世界的に重要なティッピング・ポイント9個と地域的なティッピング・ポイント7個が取り上げられた。ティッピング・ポイントの値の小さい順(世界の平均気温の上昇と共に早く突破される順)に示すと次の通りである。

●グリーンランド氷床崩壊
●西南極大陸氷床崩壊
●熱帯サンゴ礁枯死
●北方永久凍土の突発的融解
●バレンツ海氷の消失
●ラブラドル海流崩壊
●山岳氷河消失
●西アフリカモンスーンのシフト
●東南極大陸氷河崩壊
●アマゾン熱帯雨林枯死
●北方永久凍土崩壊
●大西洋海流崩壊
●北方森林枯死―南
●北方森林拡大―北
●冬の北極海氷崩壊
●東南極大陸氷床崩壊

ここでClimate Tipping Point(気候転換点)をCTPと略記することにする。

表1にティッピング・ポイント(転換点)の最良評価値、その範囲、タイムスケールの最良評価値を示した。McKayらの原論文には更に詳細なデータが示されている。2007年時点で取り上げられたティッピング・ポイントと2022年に再評価されたティッピング・ポイントを比較するといくつか入れ替わっていることが分かる。これはティッピング・ポイントそのものの定義がまだ十分に定まっていないことにもよる。

McKayらはティッピング・ポイントを次のように定義している。小さな付加的な強制力がシステムに作用してある観測時間後に自己永続的な質的な変化を引き起こす臨界点(しきい値)のことをティッピング・ポイントと呼んでいる。しきい値を超えると自己永続的な変化が起こり、非線形的インパクトはその後強制力が働かなくとも反転することが困難になる。自己永続化(Sefl-perpetuating)はシステム内の正のフィードバックによって起こり、それが十分に強い場合には暴走(runaway)条件に達する。しかしほとんどの正のフィードバックはこの条件を満たさず最初の強制力の効果を限定的に増幅するだけである。McKayらはティッピング・ポイント後の状態変化に非可逆性を求めず、タイムスケールも数世紀から1万年までも含めてティッピング・ポイントを議論している。

空間スケールについては少なくともサブ・コンチネンタル(~1000㎞)の規模で起こるものを世界的に重要なCTPとして分類している。詳細は省くがMcKayらの研究ではCTPをIPCC第6次報告書よりも広く捉えて議論している。IPCC第6次報告書ではティッピング・ポイントに関心を持つ理由として以下の14を挙げている。

●アマゾンの森林枯死
●北方林枯死
●氷床
●氷河
●グローバルな海洋温度
●海面水位上昇
●海洋循環(AMOC)
●永久凍土の炭素
●北極海氷
●北半球の雪のカバー
●グローバルモンスーン
●エルニーニョ南方振動(ENSO)
●メタンクレスレート

意外だったのは夏の北極海氷消失がCTPから除外されたことである。2007年9月には413万平方キロメートルにまで面積が減少した北極海氷は既にティッピング・ポイントを超えたのではないかと疑われていたのである。2012年に342万平方キロメートルまで減少したがその後増減を繰り返し2022年9月の北極海氷の平均面積は487万平方キロメートルである。これは1981~2010年の9月の北極海氷の平均面積より154万平方キロメートル小さい。しかし減少の傾向は直線的であってこれまでに急激な減少は見られないのである。北極海氷の厚さや体積の減少も報告されている。この減少は氷―アルベドフィードバックで増幅されているのであるが、十分に強くなく暴走的海氷消失を防いでいるのである。最新のコンピューターシミュレーションによれば世界の平均気温が1.5℃を超えると、9月の北極海氷には時折氷の無い(ice-free)状態が出現し、2℃を超えるとそれが普通になり、3℃付近で永久に無くなるという結果が得られているが、しきい値は特定できないのである。そのため夏の北極海氷消失はしきい値のないフィードバックのCTPに分類されたのである。また北極海氷が消失すると世界の平均気温は0.25℃上昇することが予想されている。十分な証拠がなく不確実としてCTPから除外されたものには、この他にインドの夏のモンスーン、エルニーニョ南方振動、北極ジェット気流(JETS)などがある。北極圏の温暖化増幅により北極ジェット気流が不安定化し、蛇行して北半球中緯度地方に極端な気象をもたらしているという仮説が提唱され、SteffenらによってCTPに分類された。そのティッピング・ポイントは3~5℃とされた。しかしその証拠が示されなかったのと長期間のデータセットにより相関が認められなかった。IPCC第6次報告書でも専門家の間で合意は低いと判定されており、McKayらもJETSをティッピング・エレメンツから除外している。

さて表1を見ると既にしきい値の範囲の下限を超えているCTPが5つある。現在世界の平均気温は産業化前と比べて1.1℃高いことを思い起そう。グリーンランド氷床崩壊、西南極大陸氷床崩壊、熱帯サンゴ礁枯死、北方永久凍土の突発的融解、ラブラドル海流崩壊である。これは何を意味するのか。既にティッピング・ポイントを超えたかも知れないと思わせる現象が現在起きているということである。McKayらはCTPを超えた可能性がある(Possible)とCTPを超えた可能性が高い(Likely)の2つの言葉を使い分けている。Possibleは世界の平均気温がしきい値の温度範囲の下限を超えた場合に使用し、Likelyは世界の平均気温が彼らが計算したしきい値の最良の評価値を超えた場合に使用している。周知のようにIPCCではLikelyは発生確率が66%以上の場合に用いられている。パリ協定の1.5℃目標に達すると4つのCTPがLikelyとなり突破された可能性が高いことになる。これが本当なら人類にとって恐るべきことである。特にグリーンランド氷床崩壊、西南極大陸氷床崩壊により海面水位の上昇は今世紀中に数メートルに達することが不可避的になるからである。現在の各国の表明している気候政策では今世紀中に世界の平均気温が2~3℃上昇する可能性がある。

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