人類の明るい未来のつくり方 ~ウクライナ危機と気候危機とエネルギー危機の位相~ (古屋 力)

2022.4.16 掲載

4.ウクライナ危機における「気候危機」の悲劇性

ウクライナ危機と気候危機との相関性については、地球環境問題やエネルギー問題に関心がある方や、ある程度の解像度をお持ちの方の中には、すでに、的確な推察をされておられる方もいらっしゃるかと思いますが、実は、ウクライナ危機と気候危機は、相互に深く関与しあう、深刻かつ多面的で複合的な相関性があります。

「気候危機」とウクライナ危機の悲劇性には、2面性があります。1つ目は、ウクライナ危機の発生原因や背景としての「気候危機」の悲劇性です。2つ目は、ウクライナ危機の結果的な派生としての「気候危機」の悲劇性です。これらは、地球環境的要因が戦争に決定的な影響を与え、同時に戦争が地球環境に深刻な影響を与えるという意味で、忌まわしいマイナス・スパイラルの無限ループすら想起させます。このこと自体が、我々がいま生きている「人新世(Anthropocene)※5」時代に固有の悲劇性そのものです。

5.ウクライナ危機の「原因」としての「気候危機」の悲劇性

ロシアによるウクライナへの一方的な軍事侵攻とそれに伴う非人道的なジェノサイドを含めた罪もない一般市民の殺戮は、明白な国際法違反であり、まったくもって正当化できない卑劣でおぞましい戦争犯罪であることは論を待ちません。その一方で、ウクライナ危機のトリガーとしての「気候危機」の悲劇性について、factを冷静に認識して、客観的に分析し、論点整理し、それを人類が自らの連帯責任の課題として共有しておくことは、今後あってはならない愚かしいサードフォルトを回避する方策を模索するためにも、「第3次世界大戦」の忌まわしき導火線になる可能性の芽を早期に摘んでおく意味でも、肝要です。

むろんこれが、なんらロシアの戦争犯罪を正当化する材料には1mmも貢献しないことは自明ですが。ロシアに無謀なウクライナへの武力侵攻をさせた根本原因は、「気候危機」との関連では2つあります。1つは、「気候危機」がロシアに与えた直接的なインパクト。そして、もう1つは、「気候危機」対策としての「脱炭素化」の世界的潮流がロシアに与えた間接的なインパクトです。いずれにしても、「気候危機」が、直接・間接にロシアを窮状に追い込み、その結果として、ロシアがウクライナ侵攻という暴挙を犯し、勝者が誰もいないウクライナ危機のトリガーとなってしまった悲劇性が、そこにあります。

①「気候危機」がロシアに与えた直接的なインパクト
実は、ロシアは、諸外国以上に「気候危機」の脅威に直面しており、気候危機適応を迫られています。ロシアは世界のどの地域と比べても地球温暖化のスピードが速いことが科学調査報告されています。昨年2021年10月30日にイタリア・ローマにて開催されたG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)で登壇したプーチンは、「ロシアは砂漠化、土壌侵食、永久凍土融解といった複合的脅威に直面している」と気候危機への尋常ならざる危機感をあらわにしています※6

「気候危機」がロシアに与えた直接的なインパクトは、多岐にわたります。中でも、ロシアにとって最も深刻な問題が、「食料問題」と「永久凍土融解問題」の2つの問題です。

まず気候危機がロシアに与えるであろう直接的なインパクトとして危惧されるのが、「食料問題」です。特に、気候危機の結果発生した夏の干ばつによる小麦の生産量減少です。すでに、ロシアは、南部で2010年に干ばつに見舞われ、実際に、深刻な食料危機に直面しています。ロシアでは、今後さらに気候変動が加速化するなか、それ以上の深刻な飢餓を含む食糧危機の事態も当然危惧されており、食料問題が、喫緊の課題となっています。こうした中、ロシアにとって、昔からヨーロッパの穀倉地帯として知られてきた世界トップクラスの穀物輸出大国であるウクライナを自国に包摂したくなる動機は充分ありうるのです。小麦2600万tで世界7位、大麦は830万tで世界5位、トウモロコシ3300万tで世界6位を誇るウクライナは、世界中の4億人分の食料を生産しており、世界26カ国に穀物輸出をしています※7。食料大国ウクライナには、ロシアの食糧危機リスクを回避して自国の食料自給安全保障を担保する魅力があります。加えて、従来ロシアの主力外貨獲得手段であり生命線であった石油・天然ガス等の化石燃料輸出が、脱炭素の世界的潮流の中で今後期待薄であるため、その有力な代替財として、穀物輸出大国ウクライナの小麦・トウモロコシ等の穀物生産能力は、無謀な領土奪取の衝動を動機付けさせる強い魅力もあるのです。むろん、言うまでもなく、こうした動機は、ロシア側の一方的な身勝手な思い込みにすぎず、何らウクライナ侵攻を正当化する材料になりえないことは明々白々ですが。

次に、「永久凍土融解」も、ロシアにとっては、食糧危機への不安と同様に、喫緊の深刻な課題です。以前は、温暖化で地表気温が上がれば、ツンドラ地帯の地中に広がる永久凍土層※8が溶け、農作地に適した土地が飛躍的に広がり※9、一方で、北極海の氷が溶けて、スエズ運河経由に代替するアジア・欧州間の北極海航路※10が開けると、気候変動のプラス効果が注目され、やや楽観論が喧伝されていた時期もありましたが、いまや、ロシアでの気候危機問題は、プラス・マイナス相殺して、マイナスの方が甚大で深刻であるとの認識になっております。その深刻な問題の際たる不安要因が、実は、永久凍土融解問題なのです。

永久凍土融解に伴い、過去に炭疽菌や天然痘ウイルス等の感染症ウイルスにかかって大量に死んだ動物の遺体が地表に融解露出する恐れがあり、その感染リスクが甚大であると警告されています※11。加えて、永久凍土融解の弊害として、「温室効果ガス排出加速問題」と「都市消滅問題」と「経済損失問題」もあります。永久凍土の中には大量の有機物が貯蔵されており、凍土が溶ければ、それまで凍結されていた有機物が分解されて、大気中にメタンや二酸化炭素などの温室効果ガスが大量放出され、気候危機がさらに加速することも懸念されています。また、ロシア領の70%は高緯度地域にあり、一連の都市は永久凍士の上に建設されているため、永久凍土融解の弊害として、永久凍士の上に建設されている都市自体が、文字通り、その土台から瓦解し、場合によっては都市ごと消滅する深刻なリスクをはらんでいるのです※12。さらに、永久凍土融解の弊害として、経済損失へのダメージも甚大で、北極圏にある道路や鉄道などのインフラ施設の4割超が変形し、使い物にならなくなり、原油や天然ガスの採掘にもマイナス影響を及ぼし、2050年までに損失は5兆ルーブルに達する恐れがあるとの予測も公表されております。かくして、「気候危機」がロシアに与えた多様で強烈な直接的インパクトと不安が、ロシアを切迫させ、ウクライナ侵攻のトリガーとなってしまったのです。「気候危機」の悲劇性の証左が、そこにあります。

②「気候危機」がロシアに与えた間接的なインパクト
「気候危機」対策としての「脱炭素化」の世界的潮流となる中で、「脱炭素化」自体が、多角的にロシアに間接的なかつ甚大なインパクトを与えつつあります。そして、これもロシアを切迫感と不安感に陥らせ、ウクライナ侵攻のトリガーとなってしまいました。すでに先日4月4日(月)に国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6回目の新報告書が、発表されましたが、結論から言うと、なんら楽観できる状況になく、厳しい報告内容でした。まったくもって「百害あって一利なし」の醜悪で不毛な戦争なんかしてる場合じゃない!ということです。エネルギー、産業、農業、土地利用、建物、輸送などあらゆるセクターにおいても大規模に削減策を拡大しなければ、1.5度に気温上昇を抑えることはできない厳しい状況にあり、このままでは、世界の温室効果ガスの排出量は上昇を続け、2100年には3.2度程度も上昇してしまうとの警鐘です。

国連事務総長のアントニオ・グテーレス(António Manuel de Oliveira Guterres)氏は、この報告書に寄せ「私たちは、気候関連災害への最短コースにいます。私たちは、パリで合意された1.5℃の上限の2倍を超える地球温暖化への道を進んでいます」と、危機的状況を訴え、「居住可能で、持続可能な未来をあらゆる人々に確保する『機会の窓』は、急速に閉じつつある。気候危機への適応と気温上昇の緩和に向けて、先を見据えた世界的な協調行動が、これ以上少しでも遅れるならば、このわずかな機会を失うことになるだろう」と警告しております。こうした中、世界中の「脱炭素」向けた官民の意識変容と行動変容は加速しており、再生可能エネルギーに向けたエネルギーシフトや電気自動車への経済インフラの全面転換に拍車がかかっております。加えて、環境に配慮した経済活動を認定する基準であるEUのタクソノミー(Taxonomy)※13等の規制作りも日々具体化しつつあり、それが脱炭素による経済成長を目指す「緑の資本主義」を加速させております。

こうした「脱炭素化」の世界的潮流の中で、ロシアはアウェイの窮地にいます。石炭、石油、天然ガス等の化石燃料の輸出大国で、ロシア経済は化石燃料の上に成立しています。その意味で、ロシアにとって「脱炭素化」は死活問題です。そして「脱炭素化」の当然の帰結として、今後化石燃料の需要が伸び悩むことは必至で、これまでの化石燃料の輸出で外貨を稼ぎ、同時に、諸外国への影響力を保持してきたロシアにとって大きな損失であり致命的なリスクとなります。同時にそれは、国家のみならず、化石燃料産業の新興財閥ガスプロムに象徴されるオリガルヒ(Oligárx)※14に支えられたプーチン政権の権力体制に対する死刑宣告を意味します。この2重の意味で、「脱炭素化」の世界的潮流は、プーチンを切迫感と不安感に陥らせ、無謀で無分別なウクライナ侵攻という暴挙のトリガーとなってしまった経緯があります。

ロシアにとって、ポスト脱炭素時代を視野に、従来主力の外貨獲得手段であった化石燃料に代替しうる新たな輸出産業の育成は急務となっておりました。そこで、ロシアが目を付けたのが、ウクライナの潤沢な「天然資源」と「ITやハイテク産業」でした。ウクライナは、とりわけ半導体製造に必要な、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノンなどの希ガス(Rare gas)の主要産出国※15です。その意味で、ウクライナは、「脱炭素」時代において、ロシアが喉から手が出るほど欲しい資源大国なのです。そして、もう1つのウクライナの魅力は、ITやハイテク産業の科学技術水準の高さです。ウクライナは、ソ連時代から宇宙分野や核開発の拠点でしたが、ヤルタ体制崩壊後も「東欧のシリコンバレー」としてITやハイテク産業の発展に注力してきた経緯があります※16。ウクライナは、まさにロシアが気候危機に直面する中で、のどから手が出るほど欲しいものばかり持っている魅力的な国家なのです。その意味で、今回のロシアによるウクライナ侵攻、気候危機への「適応(Adaptation)戦略」の一環であるとも言えるでしょう。こうした「気候危機」対策としての「脱炭素」の間接的インパクト自体が、ロシアのウクライナ侵攻という暴挙のトリガーとなってしまった悲劇性の証左が、そこにあります。

※5  人類が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった時代。現在である完新世の次の地質時代。ノーベル化学賞受賞者パウル・クルッツェンらが2000年にAnthropocene(ギリシャ語に由来し、「人間の新たな時代」の意)を提唱し、国際地質科学連合で2009年に人新世作業部会が設置された。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる。人新世の概念が根拠とする主な仮説は、「グレート・アクセラレーション」と、「プラネタリー・バウンダリー」の2つの仮説がある。

※6 ロシアは世界のどの地域と比べても地球温暖化のスピードが速いことが科学調査報告されている。2017年に公表したロシア天然資源環境省が発表した報告書「2017年のロシア連邦の環境保全と状況について」によれば、1976~2017年の40年間の比較で、地球全体が10年間に0.18度上昇したのに対して、ロシアではその2.5倍の同0.45度上昇している。2016~17年では特に、冬と春の時期に、シベリア南部や東部の北極圏地域での気温がこれまでの平均気温より2~3度あがる異常気象に見舞われた。と報告している。

※7 データは2018/19年度~2020/21年度の3年度平均。

※8  「永久凍土」とは、地下の温度が2年以上連続して0度以下になる地面のこと。ロシアの国土の10%以上は何百年前に形成された永久凍土に覆われている。過去10年を見ても、温暖化の影響で各地でその凍土が溶けている。地中に冷凍保存されていたマンモスの死体がそのままの形で発見されたケースが数多く報告されている。

※9 ロシアの研究者ナデージュダ・チェバコワ氏は、「2080年までにシベリアの約半分が農地の適するようになる」と報告してる。

※10 現在は、アジア・欧州間の貨物輸送は、スエズ運河からマラッカ海峡経由が大動脈だが、北極海航路を利用すれば、輸送時間が最大40%にまで短縮が可能とされている。プーチンは、かつて「温暖化傾向が続き、北極圏航路では航行可能な時間が延びるだろう。これは北極海航路が今よりはるかに頻繁に利用されることを意味している。航路利用やそれらの領土における経済活動を完全に確保し、自国の主権を確保する必要がある。軍事的側面も忘れないようにしよう。国の防衛力の確保という観点から極めて重要な地域だ」と述べていた。

※11 露メディア・スプートニクは「これらのウイルスは、感染力が非常に強く、死に至る危険性も高い恐れがある。これらの性質を研究し、対応するワクチンの開発を怠ったなら、人類の文明の存在が脅かされうる」と報じている。

※12 プーチン大統領は、「ロシアの領の70%は高緯度地域にあり、一連の都市は永久凍士の上に建設されている。もし、永久凍士が溶け始めたら、我々にとってどのような影響が生じるのかを想像してほしい。極めて重大な影響だ。モスクワで今、温度に関する記録が次々と生まれているように、ある場所では気温が上昇し、一方で土地の砂漠化を引き起こす可能性がある」と警告している。

※13 欧州連合(EU)が定めた環境に配慮した経済活動かを認定する基準。

※14 ロシアにおける主に国有企業の民営化の過程で形成された政治的影響力を有する新興財閥のこと。プーチン政権は、政治的脅威となる新興財閥に対して容赦なく抑圧する一方で、政権に忠誠を誓った財閥とは関係を深めている。

※15 希ガス(Rare gas)は地上の大気中にPPM(100万分の1)レベルでしか存在せず、空気から希ガスのみを取り出すのは極めて難しく生産効率が悪いため、希ガスは酸素や窒素を製造するための空気分離プラントの副産物として製造されている。ウクライナは半導体の製造工程で使うガスの主要生産国で、特に半導体に回路を描く「露光工程」で使うレーザー光発振に用いるネオンガスに関しては、ウクライナが世界の供給量のうち約70%を占めている。

※16 ウクライナは、ITやハイテク産業大国で、同国のIT技術者は20万人にも及び、グーグルなどの海外企業から多くの発注を受けている。また、ウクライナにR&Dセンターを置く企業もアマゾンからサムスンまで数多くある。1人あたりGDPでみればロシアより貧しいウクライナではあるが、科学技術の水準は非常に高い。

「6.ウクライナ危機の「派生」としての「気候危機」の悲劇性」 へ続く →