人類の明るい未来のつくり方 ~ウクライナ危機と気候危機とエネルギー危機の位相~ (古屋 力)

2022.4.16 掲載

6.ウクライナ危機の「派生」としての「気候危機」の悲劇性

戦争は気候危機を加速させます。ウクライナ軍事侵攻以降、長期化しているウクライナ国内各地での火器使用や移送および破壊行為の派生として、大量の温室効果ガスが、大気中に排出されております。

戦争は、エネルギーを極めて大量に消費します。とりわけ、石油等の化石燃料を惜しみなく燃焼します。そして、大量の温室効果ガスを大気中に放出し続けます。現下のロシアによるウクライナ侵攻で、戦場では、明らかに目を背けたくなるような人道上の不条理な悲劇が日々発生している一方で、戦争に惜しみもなく投入される火器や、破壊された建物や工場等の火災から排出される膨大な温室効果ガスは、気候危機を加速させております。ウクライナの大地を我が物顔で疾走するロシア軍の戦車や軍用トラック等の車両も、上空を滑空するジェット機やミサイルも、日々、湯水のように化石燃料を大量に燃焼し続け、膨大な量の温室効果ガスを大気中にまき散らしております。

よりによって、この「脱炭素社会」構築に向けて世界中が連帯して向かいつつあるこの極めて重要なこの時期に、地球温暖化を助長しているのです。世界中の多くの国々が懸命に大気中の温室効果ガス削減をしている片方で、そうした努力が水泡に帰すかのごとく、戦場で、大量の温室効果ガスが、節操もなく、ばらまかれているのです。あたかも、家が火事で、みんなで、協力して必死になって一致団結して消火活動に注力している傍らで、せっせと火に油を注いているようなものです。これを愚行と言わずに、何と言うのか、他の適切な表現が見つかりません。

そもそも「気候危機」の原因である温室効果ガスは、さまざまな社会経済活動に伴って排出され、それぞれの社会経済活動の部門間において、エネルギーの供給、製品・資源の供給、廃棄物の移動等の種々なトランスミッションメカニズムを通じて大気中に排出されていますが、戦争は大量の温室効果ガス排出源の際たるものです。気候危機の専門家が通常扱う資料では、温室効果ガスの最大の排出者は産業部門であるというのが定説ですが、この分析の切り口を変えて、戦争と軍需産業等の「軍事部門」に焦点を当てて部門単体として分析すると、おそらく世界で温室効果ガスの最大の排出者は、「軍事部門」ではないかと推察されます。しかし、このことを裏付ける統計資料は、なかなか入手困難なのが実情です※17。それには理由があります。戦争と軍需産業が「機密」になっており、その客観的数値公表がなく、分析が困難であることが考えられます。そして、実はそれ以上に明確な歴史的経緯があります。それは、国際的協議の場で明確に「軍事活動からの排出は国家の排出量にカウントされず報告する必要もない」ことになった経緯があるのです※18。その舞台は「京都議定書(1997年採択)」にさかのぼります。当時、京都会議の会場では、米政府が、軍事活動からの排出は国家の排出量にカウントされず報告する必要もないと主張し、それに反対して軍事活動からの排出は国家の排出量にカウントすべきと主張した一部の参加国も、結局は米国の提案に合意せざるをえなかった経緯があります。このためIPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書には、今日に至るまで、軍事部門からの排出は計算に含まれていないのです。ましてや、現在進行中のウクライナ危機によって発生した温室効果ガス排出量を客観的な統計で分析した報告書は、まだ公表できないのは致し方ない事ではあります。

いずれにしても、どう考えても、あれだけ、火器を縦横無尽に使って、実際に戦場で大量にミサイルや爆弾を投入して化石燃料を燃焼し続ける戦争行為と、その兵器を製造供給する軍事産業が、その原材料である鉄鋼等のサプライチェーンも含め、途方もない膨大な温室効果ガス排出をしていることは想像に難くありません。人道的見地や倫理的見地からも、気候危機の観点からも、現下のウクライナ戦争は、あってはならない愚行であり、言語道断なのです。いかなるもっともらしい詭弁を弄してもなんら正当化しえない「人道」と「平和」と「地球環境」に対する重大な犯罪行為だと言っても過言ではありません。

※17 米ブラウン大学発の研究事業「コスト・オブ・ウォー・プロジェクト」共同責任者のネタ・クロフォードは「米国防総省、つまり米軍は、世界で最も大量の石油を消費する機関であり、単一の組織としては世界最大の温室効果ガス排出者なのです」と指摘しているが、それを裏付ける分析結果に担保された論文等は、残念ながら入手できていない。なお、オリバー・ベルチャー、ベンジャミン・ネイマーク、パトリック・ビガー、カラ・ケネリーの4名の英国の研究者は情報公開法に基づき、米国防兵站局(DLA)に軍の燃料購入記録に関する情報開示を求めるべく、燃料の確保や分配を担うこのエネルギー部に対して、2013~17年度までの陸海空軍の燃料購入実績、ならびに国外の米軍拠点・キャンプ・基地・給油船の管理業者との間で交わされた燃料契約の記録を請求。開示された情報をもとに購入燃料の総量を計算し、米軍が排出する温室効果ガスの推定値を出した経緯がある。その結果、「米軍は、中くらいの規模の国々よりも多くの液体燃料を消費し、二酸化炭素を排出しているのです」と4人の研究者は報告している。2014年に米軍が排出した温室効果ガスは、燃料消費に起因する部分だけを見ても、ルーマニア全体の排出量とほぼ同程度であった。もし米軍を一つの国とたとえるならば、同年に米軍は世界で45番目に温室効果ガスを排出した国となる。

※18 軍事費自体の情報はすぐに入手できるが、軍事活動が地球温暖化に与える影響となると一筋縄ではいかないのが実情である。その理由の一つは、「京都議定書(1997年採択)」にさかのぼる。当時、米政府の圧力によって、軍事活動からの排出は国家の排出量にカウントされず報告する必要もないことになった。軍事活動からの排出は国家の排出量にカウントすべきと主張した交渉参加国も、結局は米国の提案に合意せざるをえなかった経緯がある。このためIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は気候変動の進行状況に関して世界で最も信頼される報告書の一つだが、軍事部門からの排出は計算に含まれていない。

7.はたして「人類の明るい未来のつくり方」はあるのか

以上、ウクライナ危機と気候危機とエネルギー危機の位相を軸に、ウクライナ危機における「核」の悲劇性、ウクライナ危機の「原因」としての「気候危機」の悲劇性、ウクライナ危機の「派生」としての「気候危機」の悲劇性等について、factに基づき、ささやかな論点整理を試みましたが、ここで明らかになったことは、「核」のrealityを纏った戦争の悲劇性が再現した場合、そのリスクを受容する余力がもはや人類にはないことです。もう無理なのです。そして、戦争には原因と動機があり、その動機を構成している要因を事前に排除することで、忌まわしい戦争を回避する可能性が、まだあると言うことです。そして、今回のウクライナ危機における動機に、実は、「気候危機」が多重的に関わり合っていることが明らかになりました。逆に言えば、「気候危機」の早期解決が、こういった愚かで不条理な第2のウクライナ危機の再発を未然に防ぐことに重要な貢献を果たす可能性も示唆していると考えます。

むろん、「気候危機」が、現下のウクライナ危機の唯一の原因ではありませんし、「気候危機」の早期解決が、戦争予防や恒久的平和構築のための万能薬だとも思っておりませんが、人類の明るい未来のつくり方の重要なヒントとなる予感がしております。そして、敵味方の壁を越えた、もう1次元上の、地球市民の視座にたった運命共同体意識に裏打ちされた気候危機対策への連帯行動が、従来型の国家間の緊張や不幸な対立を「止揚」する効果もあるかと期待しております。

なお、残念でかつ致命的なことは、現段階では、このおぞましいウクライナ戦争に対する連帯責任と痛みを、全人類が、「自分ごと」として共有していないことです。「対岸の火事的」な同情と共感にとどまっております。まだ、世界中の多くの人々の認識が、テレビ画面の向こうで展開されている悲劇の域をでていないのです。全人類が「自分自身が内包している深刻で憂慮すべき宿痾」として共通認識し、抜本的な思考変容と行動変容を伴う人類社会システム自体のアップデートを完遂させない限り、今後も、何度も第2、第3のウクライナ危機が起きることは避けれないであろうと危惧します。そして、同時に、第2、第3のウクライナ危機の発生は、上述してきた「気候危機」との関連コストとリスクを加味しても、到底、この地球という唯一無二の惑星の許容量を超えてしまうであろうという危惧は杞憂ではなく、明白な未来現実です。

コロナ禍における気候危機とエネルギー危機、貧困問題、食料問題、さらには、現下のウクライナ危機と、いまや、人類は、容易ならざる深刻な実情に直面しています。それにもかかわらず、人類が、いまだに、性懲りもなく、まったく反省する姿勢もない事実に、歯がゆさと無力感を感じます。気候危機についても、戦争についても、深刻な危機感自体が、全人類に共有されていない。この地球という惑星上に住む77億人の人類の中で、戦場にいる当事者以外のほぼ太宗の人々にとって、同情や共感はするものの、悲しいかな「対岸の火事」としての粋をでていないのです。

かのフランスのモラリストのラ・ロシュフーコー(François VI, duc de La Rochefoucauld)は、「我々は皆、他人の不幸には十分耐えられるだけの強さを持っている。」とのアイロニーに満ちた箴言を述べてます。むろん、そのまま素直に肯首応諾する気は毛頭ないのですが、確かに、人類の及ばぬ限界があることは明らかです。

気候危機がイエローカードであれば、コロナ禍はレッドカードであり、即刻退場を命じられてもおかしくない人類が、ことここに及んで、ウクライナ危機という、時代を後退させるがごとくの誠に愚かで恥ずかしい修羅場を演じている現下の情けない惨状を見るにつけ、はたして、本当に人類の明るい未来のつくり方を描く事が可能なのか、不安になります。あるいは、ラ・ロシュフーコーにように、したり顔で、人類の未来を諦念することしかできないのでしょうか?絶望しかないのでしょうか。しかし、人類の未来に絶望することは、しばらく先送りにして、もうすこし辛抱強く希望を持ちませんか。人類の明るい未来のつくり方は、いまでも、未来でも、必ず、あるはずです。絶望は、時期尚早だと思います。

6年前に誕生した「パリ協定」も「SDGs」も、人類の明るい未来のつくり方を世界に提示した崇高な試みです。為政者の威勢のよい宣言とは裏腹に、いまだに、その進捗状況は、はかばかしくなく、さらにコロナ禍で、悲劇的で深刻な事態にすら陥っておりますが、依然、希望はあると信じたいですね。

かつて、「宇宙は国家だ」と、パクスロマーナと言われた五賢帝時代の最後の皇帝マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius Antoninus)は喝破しました。すべての人類は、人種や言語、文化の違いを超えて、理性を分有する同胞であり、相互に調和関係にあると考える彼の考えに、心から共鳴します。皇帝としてローマという国家に帰属していたアウレリウスは、自分自身は、1人の人間として、ローマという国家を超越したより大きな共同体に帰属している「世界市民(コスモポリテーヌ)」としての自覚がありました。いまや、プーチンのみならず、世界中の為政者に欠落してるのは、この自負と責任感ではないでしょうか。

すべて人類は仲間であり、互いの違いを敬意を表して認め、他者を尊重することができれば、今回の痛ましいウクライナ危機は、未然に回避でき、共助と共生に道を模索することができたはずです。そして、世界中の人類が、不条理な戦争や気候危機をそのまま放置していたらやがて自分自身に降りかかってくる悲劇に結果することを「自分ごと」として認識できる想像力を解像度を実装することが出来れば、そして、「世界市民(コスモポリテーヌ)」としての自覚を共有出来れば、近未来に不可避的に勃発するかもしれない「第2のウクライナ危機」や「第3次世界大戦」を、必ずや、回避できるはずです。そこに「人類の明るい未来」につながる希望の種があると確信しております。さて、次回は、絶望をもうしばらく先送りにし、このあたりの「人類の明るい未来のつくり方」を描くべく、様々な可能性を念頭に、未来志向的な議論をさらに進化進展させてまいりたいと思っております。

どうか、お楽しみに。ではまた、次回!!