ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

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2022.4.28 掲載

9. カノン

ワインが好きで、音楽をこよなく愛していた山岡にとって、過去2回通算8年間に及ぶ欧州生活は、至福の日々であったが、そこで、もう1つ楽しみができた。それは、1人時間を忘れて。静かに大好きな絵画と向き合う至福の時間であった。

在欧時代、欧州各地を訪問し、様々な美術館を訪問し、各地で、素晴らしい絵画・彫刻と出会った。しかし、絵画は、旅先だけではなく、住んでる街でも、日常的に、愛でることができた。それが、山岡にとっては、何よりもの至福であった。特に、フランクフルト時代には、よく、週末になると、マイン河畔のシュテーデル美術館(Das Städel)に通った。中でも、お気に入りは、ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の『地理学者』(De geograaf)であった。当時は、この絵に会いに通っていたと言っても過言ではない。

カノン01

日本で、常時混雑している美術館シーンでは、とうてい想像できないことであろうが、こともあろうに、山岡が通う週末の『地理学者』の部屋は、山岡以外、誰もいなかった。30分でも1時間でも、心置きなく、1人静かに、この名作を愛でることができた。『地理学者』の画面背景の棚の上に置かれている地球儀は、当時オランダ東インド会社が活動していたインド洋が正面に向けられていた。地理学者のモデルは、フェルメールと同年にデルフトで生まれた測量技師アントニ・ファン・レーウェンフックで、『地理学者』とほぼ同時期に描いた作品『天文学者(De astronoom)』のモデルも、彼だとのことだ。1676年にフェルメールが死去したときに、このファン・レーウェンフックがその遺産管財人となったと、親切なドイツ人青年の学芸員が説明してくれた。

これをきっかけに、フェルメール好きが高じて、最大のコレクションがあるオランダのマウリッツハイス王立美術館(Mauritshuis)はじめ、英国ロンドンのケンウッド・ハウス(Kenwood House)等、欧州全土から、北米に至るまで、その希少作品群の大宗を網羅したが、やはり、原点回帰というか、山岡は、この『地理学者』が好きである。

面白いことに、フェルメール作品には、楽器や合奏の様子が数多く描かれており、彼が遺したとされる36 点の絵画のうち12 作品に楽器が描かれている。中でも興味深いのは、ヴァージナルという高価な鍵盤楽器。一種のチェンバロ(Cembalo)である。これにあこがれて、在独中に、一時期、チェンバロを習おうと実際にチェンバロ奏者の先生と面談したこともあったし、帰国後、杉並区に住む先輩から1台譲り受ける話もあったが、いずれも、未実現で、残念である。

今ちょうど、山岡が、たまたま聴いてるのが、ドイツの作曲家ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)が1680年ごろに作曲したとされる室内音楽のカノン(Canon in D)のチェンバロ演奏版である。これを聴いていると、無性に、鎌倉の家の居間にも、1台、チェンバロを置きたくなってしまう。ちなみに、いま、鎌倉の山岡家の居間には、クラシカルな1台のピアノがある。これは、相当レトロな年代もの。最初の5年間のドイツ赴任がライン河畔のデュッセルドルフであったが、当時まだ幼稚園児だった長女がピアノを弾きたいというので、まだ30歳台そこそこの若輩薄給の身でもあり、限られた予算を勘案して思い切って購入したのがこのオランダ製のピアノであった。

当時は、とてもじゃないが、Steinway & Sonsは高嶺の花であった。でも、このピアノは家族の思い出がいっぱいつまったかけがえのないピアノとなっている。その後、鎌倉時代、フランクフルト時代、東京は世田谷の豪徳寺時代と成城時代、そして、今回の鎌倉へと、ずっと我が家と一緒であった。かけがえのない大切な生き証人のような存在である。山岡自身が唯一演奏会で演奏した曲、ショパンのプレリュード(前奏曲)作品28の4番を、一生懸命猛練習したのも、このオランダ製のピアノであった。50の手習いで、大昔、同じ鎌倉在住のピアニストに手厚いご指導を受けて、なんとか演奏会までこぎつけたあの時代が、なんとも懐かしい。

いまでも、このレトロなピアノを、東京に住む長女が、鎌倉にくるたびに、弾いている。このオランダ製のピアノは、彼女にとっても、人生の伴走者であり、証人なのかもしれない。つい先日も、2階の書斎にこもって講演の準備をしていると、階下から、何やらピアノの素敵な連弾の音色が聞こえてきた。どうしたのかな。誰と弾いているのかしら。連弾の音色に誘われて、階下に降り、居間にゆくと、そこで楽しそうに弾いていたのは、長女と孫娘であった。その光景を眺めながら、不思議な既視感(déjà-vu)であった。その愉快に弾いている孫娘を眺めていて、ふと、はるか昔の、ライン河畔のデュッセルドルフの自宅でピアノを弾き始めていたころの幼い長女の姿とダブった。時代はめぐる。そのデジャビュのような、不思議なピアノのシーンのリレーに、気が付いたら、ふと、目頭が、熱くなっていた。

カノン02

(次章に続く)

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