ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

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2022.5.31 掲載

13. 誰も寝てはならぬ

鎌倉の自宅に、本格的に戻る前に、8年間東京の成城に住んでいた時、山岡は、ふとしたきっかけで、カンツオーネをやることになった。夕方の日課で、妻と自宅近所を散策していたところ、白いおしゃれな洋館の前提に小さな看板を発見。そこに、「成城カンツオーネ倶楽部 どなたでも、参加できます」と書いてあった。人一番、子供みたいに好奇心旺盛な山岡は、練習中のその洋館の館内に入っていった。奥の部屋から美しいカンツオーネの合唱が聞こえてきた。惹きこまれるように、練習場に入っていた。

すっかり、そのカンツオーネの魅力に惹きこまれてしまった。そして、次の回から、さっそく妻と参加することになった。曲は、様々。アヴェマリア(カッチーニ)、オンブラマイフ、ラシャキオピアンガ、カロミオベン、ヴァガルナ、サンタルチア、光さす窓辺、アヴェマリア(マスカーニ)、オーソレミオ、彼女に告げて、カタリカタリ、帰れソレントへ、泣かないお前、忘れな草、等々。

素人集団ながら、みなさん、熱心で、感動した。そして、毎回、練習を重ね、教会や成城ホールで発表会に参加するほどになった。仲間もみなさん、とっても良い方々で、実に愉快だった。お互いの自宅に招待しあって、お食事したり、高原でテニス合宿したり、心暖かな深い親交を深めることもできた。

趣味が高じて、イタリア・オペラにも関心をもって、聴くようになった。特にお気に入りは、「誰も寝てはならぬ (Nessun dorma)」であった。プッチーニ(Giacomo Puccini, 1858-1924)の歌劇『トゥーランドット(Turandot)』の、トゥーランドット姫に求婚する韃靼国の王子カラフによって歌われるアリアだ。

大学の同僚教員と、オペラの話になった時に、山岡は、軽い冗談で、「今度、大教室で、寝てる学生が居たら、その学生の前で、この「誰も寝てはならぬ (Nessun dorma)」を歌おうか」なんて話もしていた。イタリアと言えば、山岡は、「還暦記念」の旅で、イタリアのトスカーナに2週間ほど行ったことがあった。2017年の春のことだった。フィレンツェに5泊、シエナに2泊、ピサに1泊した。大事な節目の旅であった。

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特に、お気入りは、サン・ジミニャーノからシエナへのバスの車窓の旅であった。まさに「トスカーナの休日」であった、トスカーナとは、「エトルリア人の土地」の意味。この「エトルリア(Etruria)」は、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群で、感心するのは、男女平等の考えを持つ稀な先進的な民族だった点。ちなみに、初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされている。

シエナでは、シエナ大学(Università di Siena)を表敬訪問。経済学部のBosco教授を訪問し、グローバル・イッシュについて、有益な意見交換をした。また、フィレンツェの大富豪メディチ家の紋章は丸薬の玉も、実に印象的であった。メディチの言葉からご推察の通り、医薬にゆかりがある。共和政で強い発言力を持ち、15世紀にはルネサンスの芸術・学問の保護者となったメディチ家は、共和政が衰えた後はトスカーナ大公としてヨーロッパの貴族の一員となった。メディチ家は、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの多くの芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンス文化の開花にも大きく関わってきた一族。

ミケランジェロが14年もの歳月をかけて作り上げたメディチ家礼拝堂(Cappelle Medicee)では、ミケランジェロの有名作「曙」「黄昏」「昼」「夜」を見ることができた。また、パルジェロ博物館では、『バッコ(バッカス)』や『アポロ=ダヴィデ』といったミケランジェロの貴重な作品も堪能でき、まさにミケランジェロ三昧だった。ちなみに、ミケランジェロと言えば、「マイケランジェロ」とNYで初めて耳にした時に感じた微妙で不思議な語感をいまでも忘れない。確かに、多くの英米人は、ミケランジェロを、「マイケランジェロ」と呼んでいた。確かに、ドイツでは、ユトリロは、「ウトリロ」だった。フランス人の友人は、「日立」を「イタチ」と呼んでいた。

ミケランジェロの彫刻で最も有名と思われる『ピエタ』(1498年 - 1499年、サン・ピエトロ大聖堂)と『ダヴィデ像』(1504年、アカデミア美術館)は、どちらもミケランジェロが20歳代のときの作品であることを知った時には驚いた。ミケランジェロのフレスコ画、システィーナ礼拝堂の『システィーナ礼拝堂天井画』と祭壇壁画『最後の審判』も圧巻である。さらに建築家としてもフィレンツェのラウレンツィアーナ図書館で、マニエリスム建築の先駆けといえる様式で設計を行っている。まさに、天才であった。ミケランジェロは存命中から「神から愛された男 (Il Divino )」と呼ばれることすらあり、当時の人々からは偉人として畏敬の念を持って見られていた。

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なお、実に人間臭くも面白い話だが、同時代に生きた、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロは、実は、互いに仲が悪かったらしい。あの15世紀イタリアで画家として才能を発揮し、建築、科学、解剖学の分野にまで関心を広げ万能人と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチと、10代から頭角を現し、神のごときと称された世紀の天才彫刻家ミケランジェロ・ブオナローティは、レオナルドが25歳上であるが、レオナルドとミケランジェロは「宿命のライバル」と言われていたなんて。

この2人の天才には、興味深いエピソードが多々伝えられている。最も知られるエピソードは、フィレンツェにあるヴェッキオ宮殿のエピソードだ。レオナルド・ダ・ヴィンチ は、ヴェッキオ宮殿の大会議室で《アンギアーリの戦い》の壁画制作を1503年に執政官から依頼された。その数か月後にミケランジェロも、同会議室の隣り合った壁に《カッシナの戦い》を描くよう依頼された。その後、レオナルドは彩色を始めてから製作を中止、一方のミケランジェロも下絵の完成後に放棄してしまった。要は、未完成。幻のヴェッキオ宮殿の《アンギアーリの戦い》《カッシナの戦い》である。実現していれば、見たかったなぁ~。

(次章に続く)

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