ウクライナ危機と気候危機とエネルギー危機の深淵 ~「化石燃料」卒業を通じた「脱炭素社会」構築に向けたパラダイムシフトへの序章~ 古屋 力

2022.7.21 掲載

1. 『シーシュポスの神話』の含意

「神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。ホメーロスの伝えるところを信じれば、シシューポスは人間たちのうちでもっとも聡明で、もっとも慎重な人間であった。」

これは、アルベール・カミュが、彼の『シーシュポスの神話』の中で語っている言葉ですが、現下の不毛で悲惨なウクライナ戦争を目の当たりにして、この『シーシュポスの神話』を想起する今日この頃です。
こと、人類が、有史来、何度となく繰り返してきた戦争という愚行も、さらには、何度もその危機意識を共有し人類が連携して格闘してきた気候危機も、その派生とも言うべき全世界を悍ましい不安で覆いつくしているコロナ禍にしても、あまねく、人類の業とも言うべきシシューポスの苦役を、デジャヴュのごとく連想させるものです。

カミュは、同書の中で、「ひとはいつも、繰り返し繰り返し、自分の重荷を見出す。」「僕らは、未来をあてに生きている。明日とかあとでとか。」「時間がぼくらに恐ろしいのは、時間が証明を行い、解答はそのあとからやってくるからである。」とも喝破しておりますが、はたして、ことここに及んで、人類に明日はあるのだろうかと、やや悲観的な気分にもなりがちですが、みなさまは、いかがお考えでしょうか。

2. 戦争の起動装置としての人類の不作為の罪

「戦争に含まれている粗野な要素を嫌悪するあまり、戦争そのものの本性を無視しようとするのは無益な、それどころか本末を誤った考えである。」と言う箴言があります。これは、かの名著『戦争論(Vom Kriege)』の著者でプロイセン王国の軍事学者カール・フォン・クラウゼビッツ(Carl von Claußwitz)の箴言ですが、今の時代にこそ重要な含意のある言葉だと思います。

いまだに収束の階も見えないロシアのウクライナ侵攻は、言うまでもなく人道的にも許されない暴挙です 。いかなる詭弁を弄してもまったく正当化しえない明白な戦争犯罪(war crime)です 。2022年5月12日(木)には、ついに国連人権理事会が、ウクライナにおけるロシア軍による人権侵害の可能性に関し調査を開始する決議を採択しました。そして、すでに戦争犯罪の立件証拠となり得るコンテンツの収集・保存作業が開始されております。

方や、みなさまの耳目には、ウクライナ情勢が、メディアを通じて、四六時中ひっきりなしに、一方的に流入してきており、近時の「コロナ疲労」にも似た「ウクライナ疲労」とも言うべき状況で、真贋混在の情報過多にやや辟易とされている諸氏も少なからずいらっしゃるのではないかと推察申し上げます。加えて、ウクライナ戦争に関する近時の言説・情報の太宗が被害者たるウクライナの側に偏向してることにへの違和感と、それによって正義や善悪が絶対化されることに対し警戒感を抱く方々もおられると側聞しています。

むろん、罪もない無防備な子供たちを含め無辜な市民が忌まわしい犠牲となっている現下の不条理は、1日も早く解決が望まれ、錯綜する情報に翻弄されながらも、早期終結解決への粘り強い模索への不断の努力は、喫緊の課題であり必須不可欠な要件ではあります。しかし、同時に、最も肝心なことは、単純明快な「善悪」二極論で、正義を振りかざして勧善懲悪論を終始合唱することでも、断罪して手打ちとすることで留飲を下げることでもなく、クラウゼビッツが、いみじくも喝破したように、この有事の機会に、冷静に「戦争そのものの本性」を、しっかり分析し、かくも愚かな戦争の再発を防ぐための、抜本的なパラダイムシフトを早急にリセットすることにあると考えます。おそらく過去の歴史的証拠が多く語っているように、一方的かつ単純明快な勧善懲悪論で拙速に結果された皮相的かつ自己欺瞞的な処方は、その後の紛争の無限ループの火種となることはあっても、なんら、忌まわしくも愚かな戦争の再発を防ぐことを恒久的に担保するものではないからです。

こうした視座から、ウクライナ戦争について、虚心坦懐に、その地政学的な状況分析や歴史的経緯等を丁寧に読み込んでゆきますと、戦争の当事者は、単にウクライナとロシアだけではなく、ヨーロッパ全体の問題であることが見えてきます。そして、さらには、有史来の世界史の出来事の多層的なもつれの中に、その「解」が見えてきます。しかも、その本質はヨーロッパ固有のものではなく、全世界に通底する「戦争そのものの本性」を構成する幾つかの決定的な要素があることに気付きます。逆に言えば、その決定的な要素を丁寧に分析することで、愚かな戦争の再発を防ぐためのヒントも見えてくるかと思います。

先にご紹介したクラウゼビッツの有名な言葉の中に、「攻撃限界点(Kulminationspunkt;culminating point of the offensive)」という言葉があります。『戦争論(Vom Kriege)』に登場する言葉です。軍隊は、いわゆる「攻撃限界点※1」つまり戦闘力の限界に達すると、積極的に攻撃する力を失い、敵の抵抗、兵士の疲労、士気の低下、補給の枯渇などによって前進できなくなると分析しております。いまウクライナに侵攻しているロシア軍は、2022年3月中旬以降、ほとんど前進しておらず、都市占領できないまま、罪のない子供たちも住む無防備で無抵抗な市街地を一方的に大砲や巡航ミサイル攻撃で破壊するばかりに終始しております。なんと不毛で悲しい戦争なんでしょうか。いかにも、ゲシュタルト崩壊(Gestaltzerfall)※2にも似た、まさに断末魔のようなこの事情について、多くの軍事専門家は、ロシア軍は、補給線が伸び切って、前進できない状態に陥っている「攻撃限界点」に陥っていると分析しております。

しかし、いまこそ、我々人類が、謙虚に認識し、可及的速やかに対処行動しなければならないのは、加害者ロシアの攻撃限界点の問題ではなく、われわれ人類そのものの深刻な攻撃限界点の問題なのです。いまや明らかなことは、ウクライナ戦争以上におぞましくも深刻な危機である「気候危機」と「エネルギー危機」においても、まさに、人類全体が、「攻撃限界点」に陥っているという明白な事実です。そして、その危機が、現下の「ウクライナ危機」と通底しているという事実です。人類は、まさに、この同時多発的に起こっている3つの深刻な危機に真摯に対峙しなければならない局面に、いま立たされているのです。

人類史上画期的な快挙だとも絶賛された2015年に誕生した「パリ協定」も「SDGs」も、あれから7年の月日が経過しましたが、進捗は、残念なことに、まったくもって、はかばかしくありません※3。2022年4月4日には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)の第3作業部会(気候変動の緩和)が第6次評価報告書が発表され※4、1.5度目標を達成するために求められる技術や政策、資金など、多岐にわたる新しい知見がまとめられましたが、1.5度に抑える炭素予算はこのままの排出だと10年以内に使い切る点、急激で大規模な温室効果ガスの削減がなければ、1.5度は達成不可能になる点が強調され、気候危機への取り組みが不十分で緩慢である点が指摘されました※5

まさに、人類が、「気候危機」に対峙して、戦闘力の限界に達し、積極的に攻撃する力を失い、気候危機という敵の抵抗に当惑狼狽しつつ、疲労と士気の低下にとらわれ、前進できなくなる「攻撃限界点」に陥っているのです。そして、その不作為の罪の派生として、現下のコロナ禍とウクライナ戦争があるのです。かのスウェーデンの環境活動家の グレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)さんが、見事に一刀両断に喝破したように、この7年間の人類の不作為の罪ははなはだ重いと考えております。しかも、その罪名には、「コロナ禍」と「ウクライナ戦争」を惹起させてしまった重過失も含まれているのです。

※1 戦闘力の減衰には戦闘による損耗、後方連絡線の維持と防衛の負担、兵站基地との距離の増大などが挙げられる。すなわち攻撃側の優勢はある頂点を過ぎてからは逓減していき、いずれ攻防の優劣が交代することとなる。これは2次関数 y=x2 のグラフでも表すことができる。これが「攻撃限界点」と呼ばれるものである。すなわち指揮官は攻撃側の優勢があるうちに講和などの手段で目的を達成する必要性があり、また攻防の優劣が交代した場合はすみやかに防御へと方式を転換しなければならない。その典型事例が、バルバロッサ作戦(Unternehmen Barbarossa)である。は、第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始された、ナチス・ドイツとその同盟国の一部によるソビエト連邦への侵攻作戦のコードネームである。作戦名は、12世紀の神聖ローマ皇帝でドイツ国王でもあったフリードリヒ・バルバロッサ(赤髭王)にちなんで付けられた。この作戦は、ソ連西部を征服してドイツ人を再増加させるというナチス・ドイツの思想的目標を実行に移すものであった。この作戦によって東部戦線が開かれ、歴史上のどの戦域よりも多くの戦力が投入された。この地域では、世界最大規模の戦闘、最も悲惨な残虐行為、(ソ連軍、枢軸軍を問わず)最も多くの死傷者が発生し、そのすべてが第二次世界大戦とその後の20世紀の歴史に影響を及ぼした。

※2 ファウスト(Faust, 1947)は,ゲシュタルト崩壊(Gestaltzerfall)という用語を使って、図形などをちらっと見たときにはそれが何であるか知覚できるのに,そのまま注視し続けると,すぐにそのパターンの全体的印象が消失し,わからなくなってしまうという失認症の症例を報告した。同じ漢字を長い間,あるいは繰り返し見続けていると,漢字としての形態的なまとまりがなくなって,各部分がバラバラに知覚されたり,その漢字がいったいどんな漢字であったかわからなくなってしまうといった経験もそれである。

※3 2015年に誕生した温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」は2021年から本格運用が始まったが、その後の進捗は、はかばかしくない。2022年4月4日には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)の第3作業部会(気候変動の緩和)が第6次評価報告書が発表され、気候危機への取り組みが不十分で緩慢である点が指摘された。また、2021年6月に公開された「SDGsの達成度・進捗状況に関する国際レポート(持続可能な開発レポート;Sustainable Development Report 2021)でも、SDGsの達成度は、SDGsの17のゴールで多くの進展があったものの、達成には著しく不十分と総括している。特に、環境にまつわる目標(SDGs6・13・14・15)を中心に、達成度が芳しくない旨が報告されている。ちなみに、日本への評価は、達成度(各年の4種類の結果)と進捗度(各年の矢印)が低く取り組みの強化が必要な目標として、目標5=ジェンダー平等・目標10=不平等をなくす・目標13=気候変動対策・目標14=海の豊かさが、要改善として、指摘されている。なお、この報告書は、持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN:Sustainable Development Solutions Network)とベルステルマン財団(Bertelsmann Stiftung)によって作成されたものである。
https://sustainabledevelopment.un.org/content/documents/22700E_2019_XXXX_Report_of_the_SG_on_the_progress_towards_the_SDGs_Special_Edition.pdf?fbclid=IwAR0NpCRcv4gGEaESUgSNknttP7_o-qOa7dwW3bRmHpydVBRDQBJk_HcNi54

※4 これまで、IPCCによる分析は国連交渉を通して各国の気候変動政策に影響を与えてきたが、IPCCの第6次評価報告書は、2021年8月の第1作業部会(自然科学的根拠)に続き、2022年2月に第2作業部会(影響・適応・脆弱性)、4月に第3作業部会(緩和策)が発表され、3つの作業部会による報告が揃った。第6次評価報告書では人為的な気候変動はすでに広い範囲で人や自然に深刻な影響を与えていること、持続可能な社会を構築できるかどうかはこの10年間の行動が鍵となり、気候変動への適応策とともに、あらゆる分野での温室効果ガスの急速な減少が急務であること等が指摘されている。

※5 世界気象機関(WMO)は、2022年5月18日に、世界各国の気象当局や研究機関などから提出されたデータを基に、世界の平均の海面水位が2021年までのおよそ30年間に10.2センチ上昇し、近年その速度は増しているとする報告書を発表した。報告書は、南極などの氷の厚い層、氷床がとけて海に流れ込み、海水の量が増えていることなどが理由だとしていて、海水面の上昇は、沿岸部に住む何億人もの人に大きな影響を与えるおそれがあるとしている。

【3.ウクライナ危機の要因でもあり派生的結果でもあるエネルギー危機の深淵】 へ続く →