ウクライナ危機と気候危機とエネルギー危機の深淵 ~「化石燃料」卒業を通じた「脱炭素社会」構築に向けたパラダイムシフトへの序章~ 古屋 力

2022.7.21 掲載

5. ウクライナ危機で加速する欧州の脱炭素化

欧州の「脱炭素化」は、ウクライナ危機の勃発で、ますます加速しつつあります。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)をはじめとする、世界中の科学者や研究者たちが、地球の未来についてますます悲観的な見方を示す中、欧州がもはや何も行動を取らないという選択肢はないとの判断で毅然とした欧州全域における「脱炭素化」に向けた率先垂範を展開しております。EUは、これまで気候変動に対する世界的な取り組みの最前線に立ってきたことを自負しており、自ら野心的な気候目標を設定するだけでなく、こうした地球規模の課題に一刻も早く取り組むよう国際社会に働きかけてきた経緯があります。EUは、2050年までの気候中立化(カーボン・ニュートラル)を掲げ、温室効果ガス排出量が実質ゼロの社会・経済を目指すという目標を掲げています。この目標は「欧州グリーンディール」の中核をなすものであり、パリ協定が求める世界的な気候変動対策に対するEUの公約に沿ったものです。

ここで、あらためて再認識すべきことは、「化石燃料」の内包するアンビバレント(ambivalent)な原罪です。そもそも、「化石燃料」そのものが、産業革命以降の人類の進化発展に大いに寄与してきたプラスの面がある一方で、「気候危機」や「戦争」を引き起こす諸悪の根源であったマイナスの面についても、いまこそ、冷静な再認識と検証が必要です。エネルギーの安全保障だけではなく、化石燃料に頼った社会は、エネルギーをめぐる紛争や、産出国への権力集中など、様々な社会不安を招きます。有史来、あまたの戦争において、間接直接に、「化石燃料」が、戦争のトリガーとなってきたその史実が示唆する意味は、何なのでしょうか。欧州の英国で化石燃料を梃子に産業革命が誕生しましたが、その同じ欧州で「脱炭素」の文脈で「化石燃料」からの卒業が宣言されることは歴史の因果を感じます。

いま人類が直面している喫緊の課題は、現下のウクライナ戦争の危機を一刻も早く平和的に解決することですが、同時に、「化石燃料」自体からの「卒業」こそが、人類が直面している喫緊の課題なのではないのでしょうか。換言するなら、地産地消の再生可能エネルギーへ100%移行が、つまり、早急なエネルギーシフトの完遂が不可欠かつ急務なのでは、ないのでしょうか。

今回のロシアのウクライナ侵攻は、欧州に迅速な気候危機対策の完遂、つまり、全面的な「脱炭素化」を早期に完成させる決意を強化させ、その早期実現への加速を促しました。もともと、欧州におけるエネルギーシフト政策は、世界に先駆け、「気候危機」と「長期的なエネルギー安全保障」という2つ観点から構成され、世界をリードする形で、矢継ぎ早に「脱炭素」政策を展開し、率先垂範してきましたが、特に、ウクライナ侵攻は、これをさらに決定的に加速させることになりました。

「化石燃料」の社会的便益を「化石燃料」の社会的費用が、明らかに上まわるものであることが白昼にさらされ、「化石燃料」からの早期卒業が急務であることをまざまざと痛感させられたのが、今回のやや時代錯誤的なウクライナ戦争でした。今回のウクライナ侵略戦争は、ややアイロニカルな表現で「先祖帰り(reversion)」とも揶揄されております。ヤルタ体制崩壊以降、特に2000年代の世界中の大学や大学院での国際政治学の講義では、もっぱら「テロの脅威は、依然としてあるが、もはや、国家間の戦争は、死語となった」とまで言われておりました。しかし、こともあろうに、今回のウクライナ危機の勃発によって、時代の歯車が、ガラガラと音を立てて、ヤルタ体制時代に、時計が巻き戻されてしまったのです。あたかも古い戦記映画を観ているかのごとく、古典的な戦車による進軍や市街戦が悍ましくも再現されました。しかも、さらに憂慮すべき点は、「エネルギー」が恫喝手段として「先祖帰り」したことです。あたかも1970年代の石油危機のように、エネルギーが武器として使われる時代が不幸にも再現されてしまったのです。

従来、ドイツはじめ多くの欧州諸国のエネルギー政策の中心の軸足は「気候危機」対策としての脱炭素+持続可能性が鍵でしたが、このウクライナ危機を契機に、今後は、「安全保障」エネルギーの安定供給策としての脱炭素+持続可能性が鍵となりました。その再定義を促したのが、他ならぬ、今回のウクライナ危機でした。EUは、「ロシア産化石燃料への依存を、2030年よりもかなり前に脱却する」と宣言しており、ロシアからのガス、原油、石炭に大きく依存してきたドイツですら、いよいよ重い腰を上げて、今後はロシアへのエネルギー依存体制をできるだけ早く停止する方針です※16

はたして、ロシアのプーチンは、この「完全なオウンゴール」とも呼ぶべき自虐的な展開を予想できる解像度を、持ちえていなかったのでしょうか。そもそも、欧州の「脱炭素戦略」の加速や、ウクライナのNATO加盟を嫌気してウクライナ侵攻という蛮行に踏み込んだプーチンのロシアにとって、それが、結果的に、欧州の「脱炭素戦略」をさらに加速させ、ロシアからの化石燃料輸入を大幅に縮減させ、外貨獲得手段を断ち、同時に、ロシアの蛮行に脅威を覚えたフィンランドやスウェーデンのNATO加盟実現を促す結果となっていることは、なんとも皮肉な結果ではあります。もはや、ロシア自身が自作自演で起動させた茶番にも似たこの歴史の歯車の逆転は、後には戻れない状況です。おそらく、かのチャップリンがまだ生きていたら、このロシア・プーチンの低劣な茶番をネタに、かつてのナチス・ヒトラーを揶揄した歴史的傑作『独裁者』をしのぐ傑作を作ったことでしょう。

欧州委員会は、エネルギー安全保障の観点から、ロシアのウクライナ侵攻から間もなく、2022年3月8日に、ロシア産エネルギーからの脱却計画「リパワーEU」計画を発表しました※17。EUの天然ガス輸入の45%がロシア産であることの危険性を念頭に、供給元の多角化が急務と指摘。年間1,550億立方メートルほどのロシア産天然ガスの代替供給元の確保を急いでおります※18。加えて、EUの天然ガス需要そのものの絶対量を減らす必要があるとしており、再生可能エネルギーへの移行に向け加速すると明言しました。欧州委は、2030年の温室効果ガス削減目標に向けた政策パッケージ「Fit for 55※19」の完全な実施が実現できれば、2030年までに天然ガスのEU域内消費量の3割に相当する1,000億立方メートル程度を削減できると試算しています。EUと米国は今後、EUの当面のエネルギー需要への対応や、再生可能エネルギーへの移行に向けたタスクフォースを共同で立ち上げる予定です。

欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン(Ursula Gertrud von der Leyen)委員長は、かねてより「脱炭素」で「循環型経済」を実現する「欧州グリーンディール」構想を重要性を強調しながら、欧州のクリーンエネルギーへの迅速な移行が、グローバルプレーヤーとしてのEUの独立性をさらに高めることに資すると明言してきておりますが※20、特に、今回のウクライナ戦争を契機に、ロシア産化石燃料からの脱却が緊急課題であるとし、ロシアが政治圧力の手段として化石燃料を利用することを無効化するために、あらゆる措置を、先手でとってゆくことを明言しております。

欧州諸国の中でも、特にドイツは、ウクライナ戦争を契機に、「脱炭素」への加速へと、エネルギー政策を大きく変えました※21。とりわけ大きな変更点は、再生可能エネルギーへのエネルギーシフトのさらなる加速拡大でした※22。上述の通り、すでに、ドイツ政府は2035年までに電力消費量の100%を再生可能エネルギーでカバーしようという計画を打ち出していますが、ウクライナ戦争前は1100億ユーロ(14兆3000億円)であったエネルギー転換のための投資額を一気に約2倍まで増やし、再生可能エネルギー発電設備増設を加速させております。

※16 ドイツのエネルギー業界の調査によると、ロシアからのガス供給が突然止まった場合、節約や代替によって賄える量は半分にすぎず、ダメージは甚大であるとの由。特に製造業の場合は、8%しか節約、代替できないといわれている。特に、ドイツの製造業界が使うガスのうち、25%は化学業界が使っており、このためドイツの化学業界は、もしロシアから輸入されるガスが半減したら、第2次世界大戦後最も深刻な損害が及ぶと予想されている。こうした事情を念頭に、ドイツの経済諮問委員会は、当初、今年2022年の経済成長率を4.6%と予測していたが、ウクライナ戦争の影響で1.8%に引き下げた。また、仮にロシアからのガス輸入が直ちにすべて止まった場合、ドイツ経済への損害は2000億ユーロ(26兆円)に及ぶという推定もある。今年2022年第1四半期から景気後退(リセッション)に陥っているドイツ経済だが、その屋台骨を担う自動車産業にも赤信号が点滅している。3月のドイツ国内の乗用車生産台数は前年比29%減と大幅に減少した。ロシアの侵攻の影響でウクライナからの自動車部品(電線を組み合わせたワイヤハーネスなど)の供給が滞っており、サプライチェーンの乱れは長期化すると見られている。エネルギーや食料価格の前代未聞の値上がりに加え、不動産バブルが崩壊して未曾有の不況に陥るようなことになれば、ドイツ国民の不満は爆発してしまうとの懸念も出始めている。

※17 かねてより「欧州グリーン・ディール」を掲げてきたEUは、再生可能エネルギーの域内生産を積極的に推進する一方で、域外からの化石燃料の輸入にいまだに依存している。特にロシアからの輸入は、2021年に天然ガスの全輸入の45%、原油の27%、無煙炭の46%を占めており、その割合が非常に高い。こうした中で、最大の輸入元ロシアによるウクライナへの侵攻と、EUのロシアに対する大規模制裁により、エネルギー危機は深刻化している。そこで欧州委は、エネルギーの安全保障を確保すべく、2030年までにロシア産化石燃料からの脱却を目指す「リパワーEU」計画の概要を明らかにした。この計画は、(1)天然ガスの供給先の多角化、(2)化石燃料依存の解消の加速化からなる。LNG の輸入先としてはカタールや米国、エジプト、西アフリカなどが、一方でパイプラインによる天然ガスの輸入先に関してはアゼルバイジャンやアルジェリア、ノルウェーなどが念頭に置かれている。それ以外にも、バイオメタンや水素エネルギーの利用を増やしていくことで、EUはロシア産の天然ガスからの自立を図ろうとしている。これにより、2030年までにヨーロッパをロシアの化石燃料から独立させることを目標としているが、EUは、誰も予想していなかったスピード感で、ロシアへの燃料依存を1年以内に3分の2に削減し得る戦略を打ち出している。REPowerEU: Joint European action for more affordable, secure and sustainable energy(8 March 2022;Strasbourg)

※18 ロシアから欧州への化石燃料輸入は年13エクサジュール(EJ)。これまでと同じ年1%の需要削減が続けば、年15%の太陽光・風力の拡大によりロシア依存を解消できる。

※19 欧州委員会は2021年7月14日に、2030年の温室効果ガス削減目標、1990年比で少なくとも55%削減を達成するための政策パッケージ「Fit for 55(delivering the EU's 2030 Climate Target on the way to climate neutrality)」を発表した。欧州気候法が2021年6月24日に、欧州議会で採択されたことで2030年の削減目標の55%への引き上げが確実となり、「欧州グリーン・ディール」を包括的に推進する同パッケージがこのタイミングで提案されたもの。

※20 EUは、域内だけに留まらない対策を進めるための世界貿易機関(WTO)ルールに準拠した「炭素国境調整メカニズム(Carbon Border Adjustment Mechanism ;CBAM)」の導入による炭素リーケージ(CO2漏出、後述)の防止にも注力している。EU がCBAMを提案したのは、温室効果ガス排出量削減に意欲的でない国々への炭素リーケージによって、EUの気候目標達成への努力が損なわれることを防ぐためである。その背景には、EUは、域内で排出削減要件が厳格化されるに伴って、炭素リーケージにより排出量がEU域外に移転し、EUや世界の気候への取り組みに深刻な悪影響を及ぼすことを懸念している事情がある。

※21 欧州でもその方針と施策には多様性があり、一枚岩ではない。石炭火力の延命を図るギリシャや、再エネ投資を加速させるドイツ、原発の増設を試みるフランスと、EU 各国の「脱ロシア」の取り組みは、それぞれの事情に合わせて多様な展開を見せている。

※22 ドイツではウクライナ戦争以前から欧州でも積極的にエネルギーシフトを率先垂範してきたが、ウクライナ戦争後の2022年3月20日には、風力と太陽光にとって好ましい状況になり、ドイツの電力消費量のほぼ100%を再生可能エネルギーで供給することができた実績もある。風力も太陽光もコストのかからない国内の資源を利用できるため、限界費用がほぼゼロになった。この結果、ドイツの電気料金は非常に安くなり、マイナス20ユーロ/メガワット時に近い水準まで低下した。

【6. 新たな世界 ~脱炭素社会構築による明るい持続可能な未来~】 へ続く →