2022.7.21 掲載
3. ウクライナ危機の要因でもあり派生的結果でもあるエネルギー危機の深淵
ウクライナ侵攻は、前代未聞の「核恫喝」を伴う悍ましい戦争犯罪による「人道危機」であると同時に、「気候危機」を加速させた意味でも、また、根深い深刻な「エネルギー危機」を引き起こした意味でも、その罪は、三重の意味で、深く重いと考えます。同時に、「エネルギー危機」は、ウクライナ侵攻の「派生的結果」としてだけではなく、「トリガー」であり「要因」でもありました。
従来から化石燃料の外部依存性の高い欧州※6は、とりわけロシア産資源・エネルギーへの依存度は極めて高く、天然ガスについては4割、ドイツでは5割以上を占めています※7。それが、ロシアにとっては貴重なドル箱であり生命線でもありました※8。しかし、その後、潮目が変わります。2015年の「パリ協定」を契機に、それ以降とみに加速した欧州主導の急進的な「脱炭素(Decarbonization)戦略」が、ロシアに言い知れぬ不安を与え、ウクライナ戦争に至る長い導火線の火種の役割を果たしたのでした。欧州は「欧州グリーンディール(European Green Deal)※9をポストコロナの復興の中心に据えるべきだ」として、2020年4月9日に、「グリーン・リカバリー(Green Recovery)=緑の復興」を宣言し、その実装装置としての「脱炭素戦略」を、積極果敢に展開し始めました※10。方や、ロシアは、経済の主軸が化石燃料セクターにあり、しかもその輸出額の太宗を欧州に依存している容易に軌道修正できない構造的問題に直面しておりました。その結果、この欧州の急進的ともいえる「脱炭素戦略」の展開が、化石燃料以外にさしたる外貨獲得手段をもちえないロシアにとっては、死刑宣告に近い致命的な不安を与えたのでした。それでなくとも、「気候危機」の被害を最も被り、食料危機や永久凍土融解に伴う森林火災や感染症蔓延リスクの露呈等、多面的に、未来への不透明感に直面していたロシアにとり、まさに、「泣きっ面に蜂」の最悪のストーリー展開が着々と進行していったのです。「気候危機」は、ロシアに対して、その直接的なダメージとして、そして、「脱炭素戦略」に伴う派生としての間接的なダメージとして、二重の深刻なダメージを、致命的なほどの破壊力をもって与えたのです。その結果、「窮鼠猫を噛む」状態の窮地に陥った万事休すのプーチンが選択した悪手の国家の威信をかけた賭けが、今回のウクライナ侵攻という暴挙でした。ウクライナにとっては、とんだ「とばっちり」であり「悪夢」であったのです。
ことは、ウクライナに留まりませんでした。かくして、いまや、ウクライナ侵攻を契機に、戦場に陸続きで隣接しているヨーロッパのみならず、全世界で、燎原の火のごとく、「エネルギー危機」への不安が蔓延しております。この「エネルギー危機」の悲劇は、ウクライナ戦争の勃発で突如派生したかのごとく様相を呈しておりますが、実は違います。とりわけ、「ヤルタ体制」崩壊以降、世界中を覆ってきた「政経分離」のドグマに基づいて、政治的な課題や多々あるものの、ロシアから膨大な量の天然ガスを長大なパイプラインで輸入する「ノルド・ストリーム」に象徴されるロシアへの無防備な化石燃料依存の長期固定化の慣れの果てなのです。その意味では、欧州の自業自得だとの厳しい批判もあります。まさに、「ヨーロッパ社会は、拡張主義的野望をもつ独裁者を信頼していたわが身のおめでたさを思い知らされた※11」のです。今回のロシアによるウクライナ侵攻は、石油と天然ガスの価格上昇に拍車をかけ、私たちの生活にも影響が出てきております。その緊張感は、発電の4分の3を化石燃料に依存する日本も、例外ではなく、エネルギー価格が国際情勢の影響の直撃を受けております。つまり、エネルギー危機は、ウクライナ危機の「要因」あると同時に、全世界を震撼させるおぞましき派生的「結果」でもあったのです。
※6 欧州は、従来から化石燃料域内自給率が低く、エネルギー危機の影響を最も大きく受けている。EU(欧州連合)の加盟国と英国を含む主要な国を合わせると、ガスの輸入量は世界1位(2020年の全世界の輸入量の35%)で、原油は2位(同23%)、石炭は5位(同12%)である。化石燃料全般、特にガスの輸入リスクを抱える。化石燃料外部依存の脆弱性が、今回のウクライナ危機で露呈した。
※7 ロシアは旧ソ連時代の1970年代に、シベリアのガス田開発と欧州と接続するパイプラインの開発で主要生産国・輸出国になった経緯がある。1984年に建設されたウレンゴイ-ウージュホロド・パイプライン、1996年に稼働したベラルーシとポーランドを経由するヤマル・パイプライン、バルト海を通ってドイツと結ぶノルド・ストリームで、ロシアは天然ガスを欧州に供給。トルコ向けのブルー・ストリーム(2003年稼働)、トルコと南東ヨーロッパ向けのトルコ・ストリーム(2020年稼働)もある。ちなみに、欧州は、冷戦期のNATO対ワルシャワ条約機構という明確な構図が存在した冷戦時代にすら、化石燃料をソ連に依存してきた。特にドイツは、第2次世界大戦中に、ソ連侵攻によりソ連側には2700万人もの死者を出した負い目があり、戦後のドイツは、ロシアとの経済関係を密接にすることで友好関係を深め、戦争を二度と起こさないという政策を取った経緯がある。ロシアがドイツにエネルギー源を供給し、ドイツはロシアに機械や自動車を輸出するという相互依存関係ができていた。特に、1998年から2005年までドイツの首相を務めた社会民主党のゲアハルト・シュレーダー氏は、プーチン大統領との刎頸の友となり、ロシアのエネルギー産業に取り込まれ、2005年に政界引退後、プーチン大統領から電話を受けて、ロシアからドイツにガスを直接供給するパイプライン「ノルドストリーム」を運営する会社の株主委員会の会長になってくれと頼まれ、天下りした経緯もある。かくして、ロシアへの依存度が抜き差しならぬ状態まで高くなり、安全保障は対立する一方、経済面で関係性構築することでバランスを取ってきたねじれ関係があったのである。そして、ドイツをはじめとする欧州諸国は、今回のウクライナ戦争を目のあたりにして、ようやく、目が覚め、拡張主義的野望を抱いてきたロシアの独裁者プーチンをナイーヴに信頼してきた自らのおめでたさを、いやというほと痛感し猛反省するに至ったのである。その結果、ドイツのシュタインマイヤー大統領は2022年4月4日に、「ノルドストリーム2の建設に尽力したことは誤りだった」という声明を出し、過去20年間の対ロシア政策が失敗であったことを率直に認めた。そして、ドイツのショルツ政権がすでに完成していた「ノルドストリーム2」の審査手続きをストップし、このプロジェクトは目下凍結されている。
※8 ロシアは、EUにとって最大のエネルギー供給国で、EUの天然ガスの輸入先のうち38%がロシア。原油は26%、石炭は49%である(2020年)。一方で、イタリアやフランスよりも経済規模が小さいロシアにとっては、この化石燃料輸出がゼロになることは、主軸の外貨獲得手段を失うことを意味し、死活問題である。ガス、原油、石炭を合計すると、EU加盟国がロシアに払う金額は、1日当たりおよそ10億ユーロ(1300億円)と推定されている。つまり、ロシアは、1日1300億円もの外貨獲得手段を一瞬に失う事になるのである。ちなみに、ロシアは世界の主要なエネルギー供給国である。ガスの輸出量は世界1位で、2020年の全世界の輸出量の25%をしめる。原油の輸出量は2位(同12%)、石炭の輸出量は3位(同18%)で、いずれも影響力が大きい。さらに原子力産業においても重要な位置を占めており、ロシア国営のロスアトムと子会社を合わせると、全世界の濃縮ウランの35%以上を供給している。
※9 「欧州グリーンディール(European Green Deal)」とは、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにするグリーン移行を加速しながら経済を刺激し雇用を生むという、EUの新たな成長戦略。とりわけ持続可能なモビリティー、再生可能エネルギー、建物の改築、研究とイノベーション、生物多様性の回復とサーキュラーエコノミーの分野において投資の拡大が求められている。
※10 EU経済のリカバリープランに 既存のグリーンディールの枠組みを利用しイニシアチブを実行することで、その勢いを維持することが狙い。
※11 ミランダ・シュラーズ(2022)「エネルギー危機のヨーロッパ」pp64-65(雑誌『世界』2022年6月号)
4. ウクライナ戦争が欧州経済に与える衝撃とエネルギー政策の転換
今回のウクライナ戦争は、欧州経済に、計り知れない衝撃と底知れぬ不安を与えました。ロシア政府のノバク副首相は、「我々はすでに使っているノルドストリーム1による西欧への天然ガス供給を止める権利を持つ」と、実に恫喝まがいの発言をしました※12。これは、前代未聞の衝撃的な発言でした。ロシアが西欧へのガス供給を止める可能性を示唆したのは、第2次世界大戦後、これが初めてです。仮に、ロシアが天然ガス供給を止め場合、最も依存度の高いドイツ経済への損害は2000億ユーロ(26兆円)にも及ぶとの推定もあります。この発言を契機に、EUそして、特に、もっともロシア依存度が高かったドイツ政府は、ロシアからのエネルギーに頼ることはできないという結論に至りました。
欧州の中でも特にウクライナ戦争によって破壊的なインパクトを受けるドイツは※13、EUの盟主としてのウクライナ支援のミッションである天然ガス輸入全面停止の果敢な実施と、その副作用としての自国経済の壊滅的破壊との、悩ましいジレンマに揺れ動きました。仮に、ロシアからの天然ガス供給が止まった場合、ドイツ経済は、それへの緊急の対応措置として節約や代替によって賄える量は半分にすぎす、特に製造業の場合は、8%しか節約、代替できないといわれています。中でも、ドイツの製造業界が使う天然ガスのうち25%を使用している化学業界は、もっと壊滅的なダメージを被ると言われております。このためドイツの化学業界は、仮にロシアからの天然ガス供給が止まったしたら、第2次世界大戦後最も深刻な損害が及ぶと予想されおります。
また、ドイツは、ウクライナ戦争により、エネルギー政策を大きく変えました。もはやロシアからのエネルギーに頼ることはできないという判断もあり、ガス火力発電所の新設は見合わせることになりました。その一方で、当初は30年までに廃止する方針だった石炭火力発電所を一部温存することを検討しています。また、従来ドイツには、国家のガス備蓄制度がありませんでしたが、ウクライナ戦争を契機に、ドイツ政府は「今年2022年12月1日までに、タンクの充填率を90%にすること」とガス企業に命じました。同時に、ドイツ北部に液化天然ガス(LNG)の陸揚げターミナルを建設することや、カタールや米国などと契約を結んでLNGの供給を受けることも決定しました。なお、今年2022年末までにすべて廃止する計画があった3基の原子炉については、有事緊急対応として、一部の政治家から運転期間延長の提言がありましたが、専門家による検討の結果、やはり費用とリスクが大きすぎるという理由で、原子炉の運転期間の延長は行わないことに決定しました※14。そして、特筆すべきことは、再生可能エネルギーの加速拡大です。ドイツ政府は2035年までに電力消費量の100%を再生可能エネルギーでカバーする計画を打ち出しており、エネルギー転換に1100億ユーロ(14兆3000億円)を投じる計画でしたが、ウクライナ戦争後は、その投資金額を約2倍に増やして、再生可能エネルギー発電設備の増設を目指しています。
ちなみに、「卒化石燃料」の動きは、ウクライナ戦争前から、世界中で相当以前から胎動があったことは、付記しておいたほうがよいでしょう。2017年には、すでに、「卒化石燃料」に正面から取り組む画期的な連盟として、英国とカナダの主導で「脱石炭連盟(The Powering Past Coal Alliance;PPCA)」が、誕生しております※15。また、欧州は、2021年6月28日に成立した「欧州気候法」によって、それにより、EUがパリ協定下で公約した2030年までに二酸化炭素(CO2)排出量を55%以上削減するという目標がEU域内で法的拘束力を持つものとなりました。同法は、2050年の気候中立化目標に取り組み、その達成に向けてガバナンス体制を整備することも義務付けました。中でもなかなか進捗がはかばかしくない運輸部門の脱炭素化への加速は、強力な後押しとなり、自動車の排出量については、欧州委員会は、乗用車と小型商用車のCO2排出基準を強化し、新車の平均排出量を2021年比で2030年までに55%削減、2035年までに100%削減を求めることで、モビリティのゼロエミッション化を加速すると主張しています。もしも計画通り、これが実現すれば、2035年には欧州では全ての新規登録車がゼロエミッション車となります。なかなか進捗がおぼつかなかった運輸部門のグリーン化は、排出量の削減だけでなく、大気汚染や騒音、人の健康への悪影響を減らすことにつながるのです。またEUは、今後の道筋を明確に示すことで、先端技術の研究やイノベーションが促進されると確信しています。こうした中で、ドイツでも電気自動車の登録台数の急激な拡大を促進しています。こうした積極的な「卒化石燃料」政策展開で、EUがこれまでに施行した気候・エネルギー関連法制の成果として、EU域内の温室効果ガス排出量はすでに1990年比で24%減少した一方、同時期に経済は約60%成長した。温室効果ガスの排出量削減と経済成長は両立できることを示すデータに、EUは政策の正当性が証明されています。
※12 2022年4月4日、ドイツのシュタインマイヤー大統領は「ノルドストリーム2の建設に尽力したことは誤りだった」という声明を出し、過去20年間の対ロシア政策が失敗であったことを率直に認め、ドイツ政府は、すでに完成していた「ノルドストリーム2」の審査手続きをストップし、このプロジェクトを凍結した。これが引き金となって、それへの報復として、ロシアが西欧へのガス供給を止める可能性を示唆することになった経緯がある。
※13 ドイツが、ウクライナ戦争によって破滅的なインパクトを受けるに至った背景には、実は、ドイツ側に責任がある。つまり、ドイツが、今後数十年に亘ってロシアの天然ガス供給を恒久化させるような決定をしてきた経緯があるのである。ノルドストリーム1ならびにノルドストリーム2を通じたロシアからの天然ガスのパイプラインを通じた供給体制の強化を図り、これによりLNG(液化天然ガス)の輸入用ターミナル建設の機会を完全に奪い、エネルギー供給源の多様化を図る可能性を自ら潰してしまったのである。その意味で、今回のウクライナ危機によるエネルギー危機は、ドイツにとて実に忸怩たるものがある。エネルギー問題でのロシア重視は、ドイツの歴代政権によって能動的に継承されてきた事情がある。この動機は、単に安価な天然ガスが手に入るという経済的誘引だけではなく、むしろ、貿易関係の緊密化を通じた相互依存関係の高まりはドイツ=ロシアの緊密な関係を強化、ひいては安全保障の強化につながるといった考え方に基づく政治的な誘因に引きずられてきたと言える。ちなみに、ドイツのシンクタンクは、今回のウクライナ戦争対応として、EUによるエネルギー全面禁輸措置が講じられれば、ドイツの生産は2.2%減少して40万人の失業者を生むと推計した。ドイツは2022年ならびに2023年に2,200億ユーロ相当の生産を失う。これはGDP比6.5%に相当するとの試算もある。そもそもドイツ経済はコロナ感染からの立ち直りで出遅れており、2021年第4四半期のGDPはマイナス成長に終わった。ドイツは自動車、化学を中心に世界的なサプライチェーン混乱の影響を大きく受けたからだ。ドイツは欧米先進国で唯一、コロナ感染が起きる以前の生産水準を回復していない厳し状況にあり、今回のウクライナ危機は、まさに「泣きっ面に蜂」である。
※14 ドイツ連邦環境省と連邦経済・気候保護省は、2022年3月8日、ドイツの原発運転期間延長の妥当性に関する審査結果を公表。メリットとリスクを比較検討した結果、経済的コストや安全技術上のリスクの高さなどを理由に、2022年末までに停止予定の残る3基の原発運転延長は推奨できないとの結論を出した。ロシアからのエネルギー輸入依存度を下げるためにも、再生可能エネルギーの拡大を推進することが重要であるとの立場を表明した。ドイツの気候保護省は、2022年3月4日時点の「再生可能エネルギー法」の改正案を公開し、2035年にはドイツ国内の電力供給をほぼ完全に再生可能エネルギーによって賄うことを目指す方針を示した。
※15 石炭火力発電所の化石燃料の段階的廃止と 炭素の回収と貯蔵を加速することを目的とした165の国、都市、地域、組織のグループで、「脱石炭国際連盟」とも呼ばれる。2021年のCOP16では、PPCAは、世界各国に対して石炭から即時脱却を求めた。