ウクライナ危機と気候危機と資本主義システムの終焉 ~軍産複合体と国際金融資本の諸相と人類の平和的帰結~ 古屋 力

2022.9.22 掲載

6. 人類の平和的帰結

それでは、はたして、根本治療すべき「宿痾」の根本原因は何なのか?この地球と言う惑星上の、戦争や気候危機、貧困、飢餓、格差、人種差別、性差別、過剰な交通、大気汚染、人工的な食物、貨幣制度、経済格差等々、課題山積で、実に忌まわしくやっかいな「宿痾」の根本原因は、何なのだろうか。二度と現下のウクライナ戦争のような愚かな不条理をこの地球上に再現させない「人類の平和的帰結」は何なのか?

実は、かつて、すでに、このことに気づいていて、「人類の平和的帰結」の仕組みを用意周到に装置していた存在があった。それは、宗教であった。人類は、その長い歴史の中で、人が地球環境への加害者とならないための仕掛けとして、お互いに不毛で不条理な戦争をしなくなるような仕組みを、果てしなき貪欲な振る舞いを抑制する巧妙な仕組みを、宗教というプラット・ホームに実装してきた。同源の一神教として知られる古代キリスト教や、ユダヤ教、イスラム教に底通している「金利を禁止する教義」がそれだ。いまでも、イスラム教が、「リバー」つまり増殖(利子)を禁止していることは周知の事実だ。このリバーとは、「増殖する」という意味のアラビア語ラバー(ربا rabā)から派生した語で、単なる利子の概念よりも広い範囲で、不労所得として得られる利益等すべての貪欲な振る舞いに対する抑止となった。

それでは、そもそも「金利」とは、何か?専門家のやや小難しい解説では、「異時点間交換にともなう差額の補填」であるとの説明もある。信用システムから必然的に生じる利潤が金利だと。その金利追求こそが、現代資本主義の根幹であり、同時に、諸問題の元凶でもあった。
「金利」を前提とした「通貨」の仕組みは、とっても深刻な「副反応」があった。この「古い通貨」の仕組みによって、休むことなく馬車馬のように走り続け、経済の拡大・成長を追求することを運命づけられた疲弊した社会になった。さらに、その「副反応」は、人々を疲弊させるだけではなく、「成長神話」という一種の「共同幻想」に人類を巻き込み、忌まわしき「無限ループ」の呪縛に人類は洗脳されていった。そして、大量生産・大量消費・大量廃棄を人類に強い、その結果、地球環境は汚染され、破壊され、人々の信頼や団欒を毀損し、不条理な格差を生み、性懲りもなく繰り返し忌まわしき戦争が起こった。「戦争」自体に依存している国際金融資本と軍産複合体自体の登場は、この「成長神話」という一種の「共同幻想」に人類を巻き込み、忌まわしき「無限ループ」の必然でもあった。

そもそも、「金利」は、人類が作り出した一種の「共同幻想」である。自然界は、木も花も、一般に時間の経過とともに減価し、朽ちてゆく。金利のように時間の増加関数は、自然界にはない。

むろん、「通貨」自体は、便利で有益な知恵にちがいない。「通貨」には、本来、暮らしに役立つモノやサービスと交換したときにその価値を図る「価値尺度機能」と交換の媒介としての「交換機能(決済機能)」と「価値保存機能」がある。「通貨」は、モノやサービスという効用の代理物で、効用を数値化したシンボルだ。リンゴ1個の価値は腐敗すれば消滅するが、通貨に換えておけば、リンゴ1個の価値を蓄蔵でき、将来リンゴ1個が入手可能となる。「通貨」は、人類に、交換媒体・価値尺度として利用されながら、資本主義システム内部に憑りつき、人々の日常生活に寄生しながら、交換主体に内在する欲望を刺激増殖させながら、「通貨」なしで生きてゆけなくさせて行き、あたかも癌細胞のごとく、自身を自己増殖させてゆく。しかも、困ったことに、すべてのものに値段をつけて潜在的な交換価値を付与する「通貨」は、「通貨」になりさえすれば、その「中立性」ゆえに、公序良俗に反する、どんな忌まわしいものでも、非倫理的なものでも売買可能とする不思議な魔力があった。その魔力が、麻薬のみならず、地球環境を害するものでも、戦争や人殺しの道具である兵器・弾薬をも、抵抗なく売買可能とする。この通貨の特性が、やがて「戦争」拡大の重要な加速器となる。人は、いかなる理由と事情があっても、自ら1人で、手に鋭利な刃物をもって、1対1で相手を殺人するには、相当な良心の呵責と抵抗があるものである。しかし、戦場で、銃器で、50m~100mも離れた遠距離にいる顔すら鮮明に目視確認できない相手にたいして発砲する際には、その抵抗も薄らぎ、さらに、戦闘機を操縦しながら眼下の工場や基地にいる人々を爆弾投下によって殺傷することには、あまり良心の呵責は負わなくなる傾向がある。ましてや、いまの時代は、ドローンや無人機で、遠距離の敵地上空からあたかもゲーム操縦のごとく、リモートで殺戮を行える時代になってしまっている。かくも間接性と距離が、本来人間が持っている「良心の呵責と抵抗」を減衰させるのである。この兵器の進化と同時に、「通貨」そのものも、その「中立性」と「間接性」ゆえに、公序良俗に反する、どんな忌まわしい兵器も、自ら手にして殺傷に加担しない限り、売買を可能とさせる魔力を持つ。自らは戦場において直接手を汚さないが、その金利・投資収益を獲得する目的で、平気で、無辜の市民や兵士を数万人をも殺傷するミサイルや戦闘機を購入する資金を供与する時代になってしまったのである。自分は冷房の効いたきれいな大都会のオフィスで、資金供与や投資のためにたった1枚の契約書上の署名をするだけで、自分自身は、戦場で手を汚さず、卑劣な戦争犯罪を犯しているのである。欺瞞に満ちた法律文書に多重的に保護されながら、自らが殺傷に直接加担していることに他ならない明白な事実から目をそむけ、しっかり巨利だけを得ようとする、卑劣な悪行に他ならない。そこに資本主義の「情報の非対称性」のジレンマと皮肉がある。

さらに、やっかいな問題が、通貨の属性たる「金利」である。諸宗教が「金利」を禁止したのは、通貨が「金利」を纏うことで、本来の効用を離れ、暴走し、増殖し、未来を侵食し、人々を不幸にする畏れがあったからだった。

そもそも「金利」の原資は、物質的生産から得られる利潤の一部だ。したがって資本は永遠に生産に投資し続けざるをえない。資本は、海外市場展開や新製品開発を通じてフロンティアを拡大し、一方で原料コストや労賃の引き下げなどをして利潤追求する。資本の蓄積が進むにつれて、利潤は減衰し、成長は鈍化し、市場も閉塞化し、経済成長は次第に停滞する。成熟した時代になるにしたがって、過剰資本と過剰蓄積が生まれ、投資しても利潤が得られず、利子率はさらに下がっていき、利潤が上がらなければ、金利はゼロに近づく。やがて、市場が飽和し、新製品がなくなり、コスト削減がそれ以上進まず、利潤率は下がり、経済成長は停滞し、不可避的に「成長の限界」の時が来る。その究極の苦肉の有効需要対策が、「戦争」である。「戦争」なくして、もはや生きながらえない資本主義システムの安楽死は、必然的帰結なのだ。

現下の資本主義システムに、やがて、遅かれ早かれ、不可避的に「成長の限界」の時が来るのであれば、はたして、人類が選択すべき「人類の平和的帰結」は何なのだろうか?

仮に、人類が聡明であるならば、その答えに迷いはなかろう。人類にとって最大の成長制約要因である地球環境制約を念頭に、少しでも「脱炭素社会」構築を早急に実現し、資源制約を持続可能なものに維持するための循環型経済システムにパラダイムシフトし、思い切って、地球環境資源を短期間に消耗する「戦争」を2度と再発させない仕組みの構築が急務であることは自明である。

世界人口の中のほんの極小な、軍産複合体企業や化石燃料産業の株等に投資・融資することで収益を得ている投資家や国際金融機関で利得を得る稀有な人々の貨幣的自己満足と、逆に、戦争や気候危機の直接的被害者として不条理にも自宅や仕事やかけがえのない家族を失う数えきれないほどの無辜な人々の深い悲しみや、戦争被害や気候危機被害でエネルギー・食料価格等の物価高騰や洪水・干ばつ等の理不尽な被害を受ける世界中の太宗の人々の不幸とは、とうてい比較できるものではない。世界中の多くの人々の不条理な死と不幸を天秤にかけて、「戦争」や「化石燃料産業」で利得を得るごく少人数の人々の金銭的自己満足を担保する現下の資本主義システムを正当化すべき根拠は皆無である。

むろん、資本主義システムは、原則自由競争の世界である。しかし、同時に、自分自身が勝者になれるか敗者になるのか、富者になるのか、貧者になるのかも、不確実な不安に満ちた不安定な世界である。よって、自分が、勝者ではなく、「競争力が弱く、最も弱い立場」になる可能性も充分想定できる。富の再配分原理をいかに合意形成しながら選択するかを論じた哲学者ジョン・ロールズ(John Bordley Rawls)の1971年の『正義論(A Theory of Justice)』では、「無知のヴェール(the weil of ignorance)」※17という面白い論法を使って、自分自身が勝者になれるか敗者になるのか予測不能な場合、最悪の事態を避けたいという人々の心理を論じたが、自己の利益最大化を図る利己的人間像と他者の痛みに共感できる利他的人間像というアンビバレントな要素を内包する人間が直面すべき現下の資本主義システムが直面する「人類の平和的帰結」の解法は、何だろう。おそらく、誰しもが「競争力が弱く、最も弱い立場」になる場合を想定した「誰1人取り残さない世界」を担保できる、持続可能な「脱炭素社会」の早期構築しかなかろう。まさに、7年前の「パリ協定」や「SDGs」も、この「人類の平和的帰結」の解法を、人類史上初めて国際社会の総意として合意したチャレンジングな試みであったはずである。

もはや、今後、何度も第2、第3のウクライナ戦争を繰り返してる時間的・資源的余裕は、人類には残されていない。その愚行の再現によって派生する気候危機の許容量も、すでに上限に達してしまっている。
いまこそ、「戦争」や「気候危機」の根本原因とそれを実現ならしめている主誘因を、根こそぎ、抜本的に改善し、人類自身が依拠している現下の資本主義システムそのものをパラダイムシフトするしかない。
そのためには、自己増殖機能を内包する現在の通貨の在り方の改良を含む通貨システムのパラダイムシフトが必要である。具体的に、米ドルを基軸通貨として想定している現下の国際通貨システムの抜本的な見直しと、まったく新たな国際通貨システムへの早期パラダイムシフトが必要である。その際には、すでに進行中のデジタル中央銀行通貨と仮想通貨システム、地域通貨システム、炭素通貨等の世界中のあらゆる知財を集約したオープンな議論が必須不可欠である。

同時に、すでに欧州を中心に始まりつつある気候変動問題や生物多様性問題への新たなルール作りに向けた「環境タクソノミー(taxonomy)」の枠組み構築と同様に、「戦争」用兵器等に関するファイナンスを制約する厳しい「戦争タクソノミー」を想定した国際ルールを制定することも急務である。

むろん、「新たな国際通貨システム」への早期パラダイムシフトも、「戦争タクソノミー」構築も、言うほど簡単ではない。難問山積である。しかし、絵空事ではない。もはや、問題の先送りや、できない理由を並べ挙げている暇はない。

人類は、生きなければならないのである。資本主義システムの安楽死を座して待つ訳にもいかないのだ。まさに、人類の眼前には、喫緊の課題であるコロナ禍や食料問題を始め、気候変動問題等の地球環境問題がある。もはや、戦争は、世界中のどこでも、もう2度と再発したくない。資本主義システムを安楽死させずに、人類の社会経済システムの持続可能性を担保しながら、同時に、地球環境問題を解決できる処方箋を自ら描き、即座に実行するしかないのである。「何をやったって所詮無理に決まっている」と絶望して、斜に構えて、いかにもしたり顔で、ふんぞり返っていてもしょうがない。その解決方法を他力本願に放置し、座して待っていても、それでは、1歩も前には進まないのである。自ら解法を生み、実施前進するしかないのである。いままでも、人類は、到底不可能だと言われていた難問山積を、七転八倒しながら、なんとか試行錯誤して、一歩一歩解決して、かろうじて今日まで生き延びてきたのである。

かつて「人間には3つの階級がある。見える人、見せられた時に見る人、見ようとしない人。」と喝破したのは、かのレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)であったが、もはや、待ったなしの次がない人類にとり、戦争や気候危機のおぞましい本質を見て見ぬふりをしながら、問題の先送りの猶予はあるまい。すべては、未来のことでも地球の裏側のことでもなく、いまここにいる「自分のこと」なのだから。

※17  「無知のヴェール(the weil of ignorance)」とは、自身の位置や立場について全く知らずにいる状態を意味する。 一般的な状況はすべて知っているが、自身の出身・背景、家族関係、社会的な位置、財産の状態などについては知らない、という仮定である。 自身の利益に基づいて選ぶのを防ぐための装置だ。 それを通じて、社会全体の利益に向けた正義の原則を見いだせるようになる。