人類の明るい未来図 ~「脱炭素」と「脱国家」による「永遠平和」のためのデッサン~ (古屋 力)

2022.5.20 掲載

5.「国家」の呪縛からの卒業という「永遠平和」のヒント

それでは、「気候危機」と「国際紛争」に共通する「囚人のジレンマ」を回避し、市民1人1人の幸福に帰結するようなまったく新たな「社会契約」を構築するためには、「脱炭素」だけで、十分なのでしょうか?それ以外に、あと必須不可欠な要件として、何が考えられるでしょうか。実は、「脱国家」が、もう1つの鍵となります。

リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵は、「国家は人間の為めに存在するが、人間は国家の為めに存在するのではない。国家は手段であって、目的ではない。」※16と喝破しておりますが、いままで、幾度となく起こった忌まわしい国際紛争は、例外なく「国家」の名前で起こってきました。そして、その犠牲者は、いつも無防備な無辜の国民でした。「国際紛争」でもいつも犠牲になるのは、「国家」のために、前線にたって真っ先に貴い命を失う若い兵士であり、爆撃によって問答無用に家族どもども貴い人生を一瞬にして終焉させられた罪もない一般市民です。「戦争は国民のために行われるのではなく、国民が戦争に奉仕する」※17ことが現実になっています。「国家」は、「国際紛争」の「主犯」です。そのために、過去の2度の世界大戦も、いまのウクライナ戦争でも、「国家」の名の下に実に多くの国民が、尊い命を失っております。「国家」は、紛争の「解決者」でもありますが、同時に、残念なことに、戦争再発を目指す様々な国際的平和構築の行動の「足かせ」にもなっております。「国家」は、実にambivalentな存在なのです。

例えば、国連の安保理事会の決議は、常任理事国5カ国を含む理事国9カ国以上の賛成投票によって採択される仕組みで、常任理事国5カ国の賛成が必須なのは、この5カ国には「拒否権」が与えられているからですが、拒否権を持つ常任理事国が1カ国でも反対をすれば、その決議は採択されないというルールになっています。今回のウクライナ戦争でも、2022年2月25日に開かれた安保理の会合では、ウクライナに侵攻したロシアを非難し、ロシア軍の即時撤退を求める決議案が採決にかけられ、15の理事国のうち11カ国が賛成したが、拒否権を持つロシアが反対したため採択に至らなかった経緯があります。「社会契約」を構築してきた国家が、肝心の舞台において、よりによってその理念を自ら蹂躙し「社会契約」を無効化してしまっているのです。また国際刑事裁判所は、ジェノサイド(集団殺害)、人道に対する犯罪、民間人らを攻撃する「戦争犯罪」などを行った個人を捜査・訴追する権限をもっておりますが、実務的な権限の限界があります。皮肉なことに、そこに「国家」の壁があるのです。捜査で犯罪の証拠が得られた場合、検察官は国際刑事裁判所判事に逮捕状を要請するが、国際刑事裁判所は独自の警察機関を持たず、容疑者逮捕は各国に頼ることになる。締約国は自国に容疑者が入国した場合、逮捕や引き渡しの協力義務が生じるが、国際刑事裁判所非締約国で管轄権を受け入れていないロシアが逮捕や引き渡しを行うとは考えづらく、処罰を下すのは困難であるのが実態です。そこに「国家」の壁が立ちはだかっているのです。

「気候危機」対策でも、いままで「京都議定書」や「パリ協定」等様々な未来志向的な「社会契約」の試みが粘り強く継続されてきましたが、しかし、なかなかその実効性ははかばかしくありませんでした。実は、その目標達成の足かせとなってきたのは、実は、やはり「国家」でした。

世界で温室効果ガスを削減するために国際的な枠組みとして作られた「パリ協定」は、それを最終的に実行するのは各国の国民1人1人であり、人類が共通問題として意識しなければ達成できないものですが、実態は制度上各国の政府主導で様々な取り組みが行われています。しかし法整備などを行い取り組みができる状態を作る関係省庁や企業、団体などが積極的に行えば解決するほど単純な問題ではなく、「国家」には、国内の利害調整機能以上の貢献ができない限界がありました。「パリ協定」参加国は、温室効果ガス排出削減目標やそれを達成するための対策を国別目標(Nationally Determined Contribution: NDC)として定め、UNFCCC(国連気候変動枠組条約)事務局に提出しています。しかし、その現在各国が提出している2030年までの削減目標を足し合わせても、2100年までに約3℃も気温が上昇してしまうと予測されています。では、なぜ、各国が提示する目標設定に野心が欠如しているのか。その理由は、現政権に影響力の強い業界団体の圧力により、国民総意に反して、業界偏向型で緩めの「野心に欠けた」目標設定となる傾向が多いことが指摘されております。こうした事情もあり、気候変動問題の国際会議では、「COP※18限界説」がささやかれるほど国家間交渉は難航し、議論が進まなくなっているのが実態です。

しかし、朗報もありました。「国家」に代わって国際交渉の主導権を握るようになった「非国家セクター」の登場です。現に、「パリ協定」を採択した2015年のCOP21には、様々な環境NGOや、ユニリーバ、イケアの経営者等のなど非国家セクターが集結し、次々に脱炭素支持を表明。今世紀後半に温室効果ガスの排出量と吸収量を一致させる脱炭素目標を、「パリ協定」の条文に盛り込む機運を醸成した経緯があります。「パリ協定」の策定過程では、国家間合意を各国が国内で責任をもって進めるという制度は残しつつ、国内の、場合によっては国を超えた非国家主体に行動を促すような仕掛けが動き出していたのは、「国家」からの卒業の予兆とも言えましょう。また、その2年後の2017年6月に米国トランプ大統領が「パリ協定」離脱を表明した直後には、米企業、大学、州、都市が「We are still in(我々はパリ協定に留まる)」とメッセージを公表し、その後の急拡大を経て、現在は2500社・団体を超えた実績もあります。2018年にポーランドのカトヴィツェで開催されたCOP24に参加した筆者は、会場でこの「We are still in」のブースの会合にも参加しましたが、あの時の世界中から集まった参加者の熱気と議論のすごい迫力に圧倒されたことを、昨日のことのように覚えております。言葉は悪いですが、より気候危機の現場に近い一般市民や企業の方が、国家よりも当事者意識が高く、情報量も多くかつ真剣であり、真摯に正面から気候危機に取り組んでいる証左だと考えます。
「気候危機」と「国際紛争」ともactorが「国家」である限り、その為政者の判断に依拠せざるを得ない事情はありますが、その判断が、かならずしも「社会契約」としての国連や「パリ協定」の本来の理念なり目標に十分な貢献しているのか、セカンドベストとも揶揄される議会制民主主義のプロセスを経ても、国民の総意がそのまま「開戦判断」や「パリ協定」における目標設定判断等に反映できているか、ここに大きな疑問が残ります。有史来、為政者が、かならずしも高い見識に裏打ちされた倫理性と大局観を有している場合ばかりでなく、不幸にも、愚人・狂人権力者による悲しい政治風景も多く散見され、国家の言動と国民の総意との乖離は、民主主義システムの永遠の課題でもあります。過去の「失敗の本質」等についての多くの歴史研究が「国家の限界」についての洞察しております。

むろん「国家」という機能の有効性とraison d'etreを認識はしつつも、方や、「国家」はあくまで手段であって、目的ではないのであり、「国家の限界」を許容できない程度に深刻になった段階に至っては、むしろ「国家」の呪縛からの卒業という選択肢の検討を真剣に議論すべきタイミングだと考えます。では「国家」からの卒業はいつなのか。そして、いかなる卒業シナリオが最善なのか。実は、その「国家」からの卒業の時期は、今だと考えます。ウクライナ危機によって、国連も国際刑事裁判所も有効に機能していないことが白昼堂々と露呈し、いまや「社会契約」が無効化してしまった今なのです。人類を惹きつけてやまない戦争の本質や、人間の本能、思考の枠組みを冷徹に見極め、「脱国家」を念頭に、政治や権力に利用されないまったく新しい「社会契約」を模索しなければならない時期は、まさに、この今なのです。

かつてプリンストン大学教授・ウッドロー・ウィルソン公共政策大学院院長で米国国務省政策企画局長就任経験もあるのアンマリー・スローター (Dr.A.Slaughter)女史は、2009年に講演で「これからの時代を特徴つけるのは国家間の相互依存(interdependence)ではなく、個人や官民等様々なアクター間の繋がり(interconnectedness)である」と喝破しております※19。いまや、個々の主体性を持った地球市民同士の直接的な繋がりが、大きな意味を持つ時代に我々は生きている。地球環境問題においても、国家の枠を超え、個人や企業等、個別のアクターが直接繋がりあいながらしなやかに対応してゆく時代が到来しつつあるとの女史の慧眼には、深い敬意を表します。

実は「脱国家」による永遠平和構築の成功例が過去にもありました。それは70年前に構築された「欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community ; ECSC)」です。1951年欧州6か国が「パリ条約」を締結し、ECSCが1952年7月22日に発足しました※20。ECSCは、超国家的な最高機関が石炭・鉄鋼業を共同管理し、独占を規制した自由で公正な市場を作る構想で、両産業の育成策を通じて、ヨーロッパの平和と経済発展を実現することをめざした超国家的機関でした。その後の欧州連合誕生の原点となった人類史上稀有で画期的な国際機関でした。ECSCは、石炭と鉄鋼は国家が戦争を起こすのに欠かせない資源であるがゆえ、あえて敵同士であった両国の間でこれらの資源を共有するというきわめて画期的なアイデアで、長らく敵対してきたフランスとドイツとの間での平和を強固にする目的で創設されました。まさに、仏独の産業資源を共有化することで「脱国家」が戦争を完全に不可能とする政治的なイノベーションでした。ECSC の「超国家性(supranationalism)」が、今日の新たな「社会契約」の議論に与えてくれる含意と示唆は、極めて深く重要であると考えます。

むろん、現下の恒久的平和構築や気候危機問題解決のためのプラットフォームは、あまねく「国家」を前提に構築されおり、それ自体のraison d'êtreを全面的に否定し、それなりに有効に運営され機能を無下に全面否定することは、なかなかできませんが、こと今回のウクライナ危機のごとく「国際紛争」や、「気候危機」における「パリ協定」の困難性を眼前に突き付けられる事態に及んでは、「国家」の呪縛からの卒業という思い切った選択肢を念頭にした新しい「社会契約」のアップデートの再検討が急務と言わざるを得ません。

※16 リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー著、鳩山一郎訳『自由と人生』(Totaler Staat - totaler Mensch (1937))の冒頭の文章。

※17 ロジェ・カイヨワ(1974)『戦争論』p209 戦争の歴史に新たな光をあて、これまでなぜ人類が戦争を避けることができなかったかを徹底的に分析した。

※18 COPとは、Conference of the Partiesの略で、日本語では「締約国会議」と訳されている。本論では、「気候変動枠組条約締約国会議」の意味で「COP」を表記している。

※19 関連論文ではAnne-Marie Slaughter,”A New World Order”(2006)

※20 「欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community:ECSC)」は、発足2年前の1950年5月にフランス外相ロベール・シューマンが「シューマン宣言(The Schuman Declaration)」を行ったのが起動点となっている。

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