人類の明るい未来図 ~「脱炭素」と「脱国家」による「永遠平和」のためのデッサン~ (古屋 力)

2022.5.20 掲載

6.グローバル・コモンズ(Global Commons)と人類の未来

いまや時代は、「脱炭素」の世界的潮流の中で、「国家」の呪縛からの卒業の新たな時代に向かいつつあります。そして、この「脱炭素」と「脱国家」という2つの重要な動きが、実は、「人類の明るい未来図」の鍵となります。世界の仕組みは、「ウェストファリア体制(Westphalian sovereignty)」※21が終焉を迎え、新しい「ポスト・ウェストファリア体制」が始まりつつある岐路にあります。近現代の世界を創設・支配してきた欧米が近代初頭に構築した国際政治の基本体制「ウェストファリア体制」が、ヤルタ体制の崩壊、冷戦終結後、欧州EU誕生など、ウェストファリアの基本線から離れ、むしろ超越する動きが相次いでいる中で、今回のウクライナ危機や「パリ協定」の蹉跌リスクに直面し、脱ウェストファリアの動きの新たな萌芽が、「国家」の呪縛からの卒業の新たな時代に向う重要なヒントになります。

ヤルタ体制の崩壊を機に、グローバル・テーマは、二極化したイデオロギーの対立軸から、気候変動に象徴される地球環境問題の脅威に、その主役の座を譲り渡しました。1989年のベルリンの壁崩壊以降のヤルタ体制崩壊はつるべおとしの様に早く、経済合理性と市場原理が、旧社会主義諸国にもおよび、一方では、莫大な軍需予算が削減され、軍縮が、デタントが、進み、いままでミサイル製造に投入されていた優秀なエンジニアは一気にインターネット分野と金融工学分野に自らの活躍の場をシフトし、旧社会主義陣営がかかえていた大量の人口は、あらたな市場経済に大量で廉価な労働力を提供しました。

国際政治空間は、その生理的必然として、ぽかりと空いてしまった「脅威の不在」「緊張の空間」を埋める「何か」の登場を必要としておりました。「国際政治空間の脅威一定の法則」とでも言えましょうか、ヤルタ体制の冷戦体制の解体と同時に、新たな国際政治のアジェンダとして登場してきたのが、気候変動問題等の地球環境問題でした。実は、この予兆は、それ以前からありました。すでにベルリンの壁の崩壊前夜1985年には、気候変動問題が初めて本格的に議論される契機となった最初の国際会議フィラハ会議(オーストリア)が国連環境計画(UNEP)主催で開催され、欧米から数十名の科学者が集まり「21世紀前半における世界の気温上昇はこれまで人類が経験したことがない大幅なものになる。科学者と政治家や官僚などの政策決定者は、地球温暖化を防止するための対策を協力して始めなければならない。」との宣言を採択しました。

1988年6月30日のカナダのトロント会議では、地球温暖化が国際的に重要な政策課題として初めて本格的に議論され「人類は、全地球核戦争を除けば、究極の悲劇を招くことになるかもしれない、意図しない、制御不能の、地球大の実験を始めている。様々な地域での人間活動、化石燃料の非効率的な乱費、人口急増に起因する汚染によって、地球大気はこれまでにない速度で変化しつつある。この変化は国際安全保障にとって主要な脅威の1つになりつつある。」という地球目線にたった画期的で歴史的なメッセージが世界に向けて発表しておりました。奇しくも同年1988年12月7日に、かの旧ソ連のゴルバチョフ書記長は、デタントを説く歴史的に有名な国連一般演説の席上で「国際的な経済安全保障は、軍縮ばかりでなく、地球環境への脅威に対する認識を離れては考えられない。」と喝破しております※22

かくして、地球環境問題の文脈で新たな国際政治のパラダイムシフトが起こり、地球環境問題のアジェンダは一気呵成に国際政治の舞台に登場し、新たな国際政治課題として、地球環境問題解決のための国家主権を超える新しい国際的枠組み作りに向けての途方もない混根気のいる気の遠くなるようなnever ending storyの策定作業が始まったのです。もはや、超国家的な新しい「ポスト・ウェストファリア体制」が、あらたな国際政治のアジェンダとして登場した地球環境問題を軸に、大きく再構築することは、歴史的必然であるとも言えましょう。いまや、新たに地球環境と人間に優しいnon-greedyな仕組みの構築には、国家主権を超える新たな国際的枠組みの創設が不可欠であると考えます。

それでは、国家主権を超える新たな国際的枠組の鍵は何なのか?実は、その鍵は、「グローバル・コモンズ(Global Commons)」※23にあります。「グローバル・コモンズ」とは、やや聴きなれない言葉ですが、地球規模で人類が共有する資産を意味します。主権国家の管轄を超えて人類全体が生存していくために必要とする大気や大地、太陽、海洋、水、気候、氷層界といった、世界が共有している生態系そのものをさします。いまや、人類社会は、1万年にわたり人類文明を育んできた安定した地球環境が大きくバランスを崩しカタストロフな危機に瀕する存亡の危機の正念場におります。もともと、「グローバル・コモンズ」には、それを管理する仕組みがなく、その構成員である各国が規制がないことをよいことに自己都合で自分の利益だけを追求して共有財産を利用し乱獲しつくし、結局、全人類の共有財産である「グローバル・コモンズ」がことごとく破壊され、結果的には、全人類が損をする結果を招いておりました。これを「グローバル・コモンズの悲劇(Tragedy of the Global commons)」と呼びますが、これほどの悲しい愚行はないでしょう。

いま、時代は、コロナ禍の気候危機時代にあり、主権国家の管轄を超えて人類全体が生存していくために必要とする大気や大地、太陽、海洋、水、気候、氷層界等の世界が共有している生態系そのものをさす「グローバル・コモンズ」の責任ある管理(Global Commons Stewardship)ができるまったく新しい仕組みが求められております。人類は、いまこそ英知を結集して、エネルギー、食料、資源循環、都市といった地球システムに大きな影響を与える社会・経済システムを大転換し、人類と地球が共に持続可能な未来を築く必要があります。実は、そこに、「ポスト・ウェストファリア体制」の萌芽があるのです。

すでにヤルタ体制崩壊前の1970年には、G.ケナン(George Frost Kennan)が『フォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)』に投稿した論文「世界の環境悪化を回避するために(To Prevent a World Wasteland)」において、環境保護を目的とする国家主権から独立した国際環境機関(International Environmental Agency ; IEA)創設を提唱しております。そして、ベルリンの壁崩壊前夜、1989年の3月にオランダのハーグで開催された地球温暖化問題を協議したハーグサミットで採択された「ハーグ宣言(Hague Declaration)」は、喫緊のグローバル危機である気候変動問題に対する処方箋として、新たな効果的な意思決定と執行の機関として、国際司法裁判所の管轄に従う新しい国際機関創設を提言しております。まさに、こうした動きは、Global Commons Stewardshipのまったく新しい仕組みを予言するものでした。

すでに、「脱炭素」化の世界の潮流等を背景に、Global Commons Stewardshipのための新しい仕組みは、着実に様々な形となって具現化しつつあります。決算報告書に環境負荷の公表をする企業も増えてきており、投資家等のステイク・ホールダ―は、こうした非財務情報を投資適格性の重要な判断基準として参照するようになってきております。加えて、「気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures ; TCFD)」や「自然関連財務情報開示タスクフォース(Task Force for Nature-Related Financial Disclosure ; TNFD)」の基準は、世界中のすべての企業にとって情報開示の大前提となりつつあり、ガバナンス(Governance)、戦略(Strategy)、リスク管理(Risk Management)、指標と目標(Metrics and Targets)等の多角的な側面で「脱炭素」や「生物多様性保護」への貢献が求められる時代になってきました。同時に、資金調達面でも、投資家の資金と企業の設備投資を「脱炭素化」に集中させるべく、持続可能性に貢献する経済活動を分類判別する「タクソノミー(taxonomy) 」が標準化し、環境に配慮した投資融資行動により、資金調達をする企業行動にも劇的な行動変容が起こりつつあります。

かつて、イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)は「自立共生(conviviality)的社会は、他者から操作されることの最も少ない道具によって、すべての成員に最大限に自立的な行動を許すように構想されるべきだ」※24と喝破しておりますが、まさに、いま、本論で希求している新しい仕組みは、国家の枠を超越したグローバル・コモンズの責任ある管理に関する国際的に共有される知的枠組みの構築であり、これこそ、自立共生的社会を担保することに他なりません。この仕組みは、人類の今世紀半ばまでに地球システムの限界(Planetary Boundaries)※25の範囲内での持続可能な開発を達成するための統合的なシナリオ経路や政策・ビジネスのガイダンスとなる指標等に展開され、実践される、「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由」※26 を担保する、まったく新しいパラダイムなのです。

※21 ウェストファリア体制(Westphalian sovereignty)とは、欧州での三十年戦争(1618年〜1648年)の講和条約であるヴェストファーレン条約(1648年)によりもたらされたヨーロッパの勢力均衡(バランス・オブ・パワー)体制。国家における領土権、領土内の法的主権およびと主権国家による相互内政不可侵の原理が確立され、近代外交および現代国際法の根本原則が確立されたことをもって、しばしば「主権国家体制」とも称される。内部においては国家権力が最高の力として排他的にな統治を行い、かつ対外的には外国の支配に服することのない独立性を持った国家を前提に、主権国家の概念の確立・国際法の原則・勢力均衡の国際政治、の三要素からなる。

※22 1988年9月27日に開催された国連総会で、当時まだソ連であったが、シュワルナゼ外相は、人類に環境に対する脅威が確実に迫っていることを指摘した上で、こう総括している。「現在は、何らかの地球レベルのコントロールなしには、平和的、創造的といわれる人類の活動が、地上のすべての生活の基盤に対する地球次元での攻撃に転化して住まうことに、明確に気づいた初めての時であろう」「生命圏には、政治ブロック、同盟・体制という区切りなど一切存在しない」と。

※23 グローバル・コモンズ(Global Commons)とは、地球規模で人類が共有している資産を意味している。国際公共財とも呼ぶ。コモンズとは、イギリスの地域で牧草を管理するために行われた自治制度のcommonsに由来する名称で、今日では、入会地(いりあいち)や公海の水産資源など、だれもが利用できる共有資産をもいう。そのため、地域住民だけが利用できる共有材のローカル・コモンズに対してグローバル・コモンズが存在し、それは主権国家の管轄を超えて人類全体が生存していくために必要とする大気や大地、太陽、海洋、水、気候、氷層界といった、世界が共有している生態系そのものをさす。ちなみに、東京大学は、2020年8月に、こうしたグローバル・コモンズの責任ある管理(Global Commons Stewardship) に関する国際的に共有される知的枠組みの構築を進めるために「グローバル・コモンズ・センター(Global Commons Centre)を創設している。今世紀半ばまでに地球環境の限界内での持続可能な開発を達成するための統合的なシナリオ経路や政策・ビジネスのガイダンスとなる指標等に展開され実践することを目指し、Global Commons Stewardship Framework with Index等の開発に注力している。

※24 イヴァン・イリイチ(2015)『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫)p58 加えて、イリイチは、「限りない効率性追求によって機械の主人として君臨することになるはずだった人間は、実際には、機械の操作者として不毛な労働に従事させられ、また機械が作り出した商品をただ受動的に供給されるだけの消費者になったにすぎなかった。機械が奴隷の代わりになるのではなく、機械が人間を奴隷化したのである。」と喝破しているが、戦争も気候危機の加速も、こうした人間の奴隷化の延長上にある悲劇だとも解釈できよう。

※25 人々が地球で安全に活動できる範囲を科学的に定義し、その限界点を表した概念。スウェーデンにあるストックホルム・レジリエンス・センターの所長だった環境学者ヨハン・ロックストローム(現在はドイツのポツダム気候影響研究所に所属)を中心とする総勢29名の研究グループが、2009年に発表した論文の中で提唱した。

※26 イヴァン・イリイチ(2015)『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫)

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