人類の明るい未来図 ~「脱炭素」と「脱国家」による「永遠平和」のためのデッサン~ (古屋 力)

2022.5.20 掲載

8.「人類の明るい未来図」

ジョン・レノン(John Lennon)ではないですが、みなさん、よい機会ですので、よろしかったら、少し「永遠平和」について、ご自身でも「想像」してみませんか。そして、各位の「想像」の補助線の一助にでもなればと、以下、みなさまのご高察のご参考までに、徒然思うままに、ささやかな素描<永遠平和のために~イマジン>を書き記してみましたので、ご高覧ください。

<永遠平和のために~イマジン>

「脱炭素」を徹底的に完遂させ、戦争の元凶であると同時に戦争の手段でもあった賦存偏在性をもつ化石燃料と決定的な決別をする。その代わりに、世界各地にあまねく存在し、水力、風力、太陽光、地熱など多様性があり、どの国でも自国内で自給可能な再生可能エネルギーに、全面的にシフトする。

世界中の人々は、自国内の地産地消型で自給自足型の限界費用ゼロの再生可能エネルギ―の100%化によって、十分安定した持続可能な経済生活を享受できる。しかも、再生可能エネルギーのインフラのガバナンスは、「国家」レベルではなく、人類が、「地球人」の立場で、個々人が自主的に自由に出資し、共同所有し、共同管理する。その時点で、人類は、国家の呪縛から卒業する。再生可能エネルギーの持つ不安定性や変動制、需給のミスマッチ等の課題も、情報テクノロジーの究極の最適解を提供するIoTの登場によって、需給調整と安定化が可能となる。

そこから生まれるエネルギーや利益は、透明性が担保された共有プラットフォームによって、平等公平にすべての個々人の所有者に応分に配当される。所有者の帰属する国家は多種多様で、玉石混合で敵味方とも呉越同舟状態であり、モザイク的な様相を呈する。すでに、本質的に、かような再生可能エネルギーインフラは、「ノーサイド」なのである。かくして再生可能エネルギーインフラを国境を越えた共同所有システムによって、もはや、「国家」の名のもとでこうした共同インフラを攻撃破壊する戦争行為自体も困難となる。ましてや、領土侵攻による領土拡大自体が、意味をもたなくなる。その時点で、戦争自体の動機がなくなる。こうした「脱炭素」の徹底的な完遂によって、国家の名の下での不毛な戦争が無意味となり、戦争が起きる可能性は、限りなくゼロに近くなる。

やがて、それぞれの再生可能エネルギーのインフラは、スーパー・グリッド(Super Grid)で連携し相互に送電線で結び、風力や太陽光など再生可能エネルギーで発電した電力を世界中でやりとりするようになる。そして、合理的裁定が機能し、世界各地の再生可能エネルギー市場が世界の単一市場に収斂してゆくグローバル・リンケージ(global linkage)に向けた動きが始まる。そして、最終的に、世界単一再生可能エネルギー市場統合が実現する。むろん、再生可能エネルギーの限界費用はゼロである。よって、資源保有自体は無差別であり、競争力の源泉にはなりえない。むしろ、その競争力の源泉は、その無尽蔵にある再生可能エネルギーをいかに効率的に発電でき蓄電できるかの技術力に依拠する。

今後は、軍事力ではなく、技術力の面で世界的なリーダーになることが大きな意味をもつようになる。かつて、軍事力により戦争に勝って、石油埋蔵豊富な領土を占拠して、圧倒的な資源優位を確保することで世界的なリーダーになることが大きな意味をもつ時代があった。しかし、その時代は終焉を迎えた。今後は、技術の面で世界的なリーダーになることが大きな意味をもつ時代が始まる。かような競争力の質の根本的な変化が、今後の国際関係を規定してゆく。そして、新たに登場する新時代には、もはや、地球上に人為的に惹かれた国境そのものが、意味をなさなくなる。加えて、気候変動や生物多様性、土地利用変化などの地球環境システムの主要構成要素たるグローバル・コモンズへの環境負荷と責任を数値化し、全人類が、客観的な評価を共有する。今後、従来外部的存在として捨象してきた地球環境ファクターを現下の経済システムの中に環境化させることが、必要不可欠な要件となる。いかにして人類の貪欲な価値観や行動様式を見直し、一定の定常状態が維持される循環型の仕組みをつくるかが、最重要課題となる。そのための仕掛けとして、常時、企業や個々人の行動は、自動的にモニタリングされ、1社あたり、1人当たりの温室効果ガス排出量から、生物多様性への負荷等も含め、あらゆる地球環境負荷が総合的に数値化されコスト化され、全人類に共有還元される。こうしたプロセスを経て、1人1人の「地球人」としての自覚が促され、自発的な環境配慮行動が、燎原の火のごとく世界中に広がって行く。

地球環境負荷は、そのままコストとして企業が設定する価格にも反映し、同類の商品でも、地球環境負荷の高い商品は、割高となる。人々は、スーパー等で買い物する時にも、値札を参照しながら、自らの消費判断をするので、自ずと地球環境負荷の高い商品を回避するようになる。かように、需要サイドから環境配慮行動を促す仕掛けになっている。企業も、決算報告書に、環境負荷総合指標を公表することを義務付けられ、投資家等のステイク・ホールダ―は、投資適格性の重要な判断基準として、企業の環境負荷総合指標を参照するようになる。

「気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures ; TCFD)」や「自然関連財務情報開示タスクフォース(Task Force for Nature-Related Financial Disclosure ; TNFD)」の基準は、世界中のすべての企業にとって情報開示の大前提となり開示は常態化し、ガバナンス(Governance)、戦略(Strategy)、リスク管理(Risk Management)、指標と目標(Metrics and Targets)等の多角的な側面で「脱炭素」や「生物多様性保護」への貢献が求められる。同時に、ファイナンス面でも、投資家の資金と企業の設備投資を「脱炭素化」に集中させるべく、持続可能性に貢献する経済活動を分類判別する「タクソノミー(taxonomy)※31」が標準化し、環境に配慮した投資融資行動により、資金調達をする企業行動にも劇的な行動変容が起こる。

かくして、IoTの登場によって、環境負荷と責任を比較し対応を促す総合指標構築が実現し、グローバル・コモンズを守るための国際的な政策論議を喚起し、広く全人類の「地球人」としての行動変容を促す。やがて、人類は、あくまで、国家の従属変数から卒業し、1人の尊厳をもった「地球人」として毅然と自立する。客観的かつ公平な総合指標を念頭に、自らの地球環境負荷への自覚を基準に主体的に行動するようになる。その結果、大量の温室効果ガスを排出する化石燃料を前提とした旧来型の重工業は衰退し、その象徴的存在であった軍需産業は、風前の灯となる。そこにいやしくも巣くってきた寄生虫のような低劣な利益集団や為政者もことごとく淘汰される。その結果、不合理で低劣な戦争自体そのものが、その動機と手段をことごとく失う。そして、その新しい地平線において、もはや国家の下僕はいない。意思に反して戦場で命を懸ける者はいない。かくして、人類は、初めて「地球人」として自立する。

そして、その当然の帰結として、この期に及んで、それでも戦争のトリガーを引こうとする国家は、世界から信任を失墜する。そして、もはや、命をかけて前線に立とうとする兵士すら誰1人も招聘できず、その戦争手段たる火器すら実装できず、まさに丸腰で、致死的な資金調達危機に直面し、結果、不可避的に国家破綻する運命に陥る。かくして、「国家」に名のもとに勃発してきた不毛な「戦争」も、国家の名のもとに散っていった兵士の不条理な「戦死」という言葉すら、「死語」となる。その地平線に、ようやく永遠平和の希望の光が見えてくる。

IoTの登場によって実現可能となった新しいパラダイムでは、世界中の地球環境負荷が総合的に数値化されたデータベースが一元管理され、同時に、透明性を担保した形で、全人類に共有される。かくして、Global Commons Stewardship(グローバル・コモンズの責任ある管理)を担保できる国家を超越した新しいパラダイムが完成する。しかも、こうした地球環境負荷が総合的に数値化されたデータベースは、グローバル・リンケージ(global linkage)により統合した世界単一再生可能エネルギー市場のデータと常にすり合わせされ、エネルギー消費と地球環境負荷との健全なバランスが維持される。ライフラインの基本要素である、

エネルギーと地球環境の双方の安全保障が担保されることによって、人々は、安寧な日常を手中にできる。そして、大量生産・大量消費・大量廃棄を伴う不毛な経済成長神話も過去のものとなり、虚栄心よりも思いやりと尊敬が尊ばれ、猜疑心より信頼が実装され、憎しみや競争よりも利他と優しさが優先する心穏やかな心象風景が常態化する。そして、人々は、自己の立身出世や所得向上や資産価値増加よりも、ささやかな温かくて穏やかな日常の家庭の団欒に、自分の幸福と充実を再発見する。

まさに、ユネスコ憲章 前文にて世界に向けて宣言された「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(That since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men that the defences of peace must be constructed)」の理念が、そこで、ようやく現実のものとなる。

以上、<永遠平和のために~イマジン>いかがでしたでしょうか?人類の未来図についての「素描」を、だいたいのイメージで書いてみましたが、みなさまは、どのように感じられましたか?

むろん、こうして「素描」を書きながら、気になった点も残っております。特に、環境負荷総合指標の一元的管理については、国家のエゴを超越した透明性と公平性が担保されたグローバル・スタンダードであるいう意味では理想的な面がありますが、方や、Global Commons Stewardshipが徹底されるあまり、ジョージ・オーウェル(George Orwell)の小説『1984年』に登場するビッグ・ブラザー(Big Brother)※32を彷彿とさせる微妙な息苦しさもありますね。このあたりは、悩ましいところです。これで、本当に明るい未来図になるのかとの疑問もあり、確かに全体主義的システムの弊害も気になるところです。Global Commons Stewardshipの仕組みについては、課題が残りますね。

また、必ずしも「国家」を全面否定しなくてもよいのではというご意見もあります。現在の欧州連合(EU)のように、課題は多々あれど、「国家」を存続させながら同時に超国家的な仕組みをグローバルに拡大してゆく構想でもよいのではというご意見もあります。確かに「国家」の全否定自体には、課題もあります。むしろ、カントは、「国家」のraison d'êtreに一定の理解を示しており「国家」を全否定しませんでした。戦争のない理想状態とされてきた「世界統一国家」を断念し、むしろ消極的ともいえる恒久平和を維持するシステムとして「諸国家による平和のための連合」構想を提案をしました※33。それがいまの「国連」の原点だと言われております。では、なぜカントは「世界統一国家」という積極的な提案ではだめだと考えたのか。そこには、人間や国家の本質についてのカントの鋭い洞察があったと考えます。

世界統一国家への統合は、異なる文化、価値観、言語という個別の事情を超えて、特定の強者の文化や価値観が一方的に物事を決定するという大きな抑圧を生みかねない危険性が必然的に生じることを、カントは懸念したのだと思います。その懸念は正しいと思います。確かに、道徳的・法的原理に基づいて考えれば、理想的には「世界共和国」の帰結となりますが、主権国家を基本単位とする世界の体制が現に成立しているかぎり、 世界共和国の創設は、暴力や権力の強制に頼らないで実現することは非現実的できわめて困難であることは自明です。むしろ、「国家」を全面否定し「世界統一国家」を空想するよりも「平和のための連合」を提案したカントの理念は、十分肯首できるとも思います。しかし方や、現在の国連が、なかなか「平和のための連合」を機能できていない悩ましさはありますが。

その意味で、上述の「人類の明るい未来図」は、まだまだ議論の余地があり、未完成です。はたして、「国家」のraison d'êtreを最低限担保しながら、気候危機を早期に回避でき、戦火が再現しないような有効かつ強力なプラットフォーム構築は、実現可能なのでしょうか。現在のEUや国連、IMFや世界銀行等の多様な既存システムをさらに改善させながらバージョンアップすることで、理想的な新たなパラダイム構築は可能なのでしょうか。あるいは、そもそもその方法にはいずれ遅かれ早かれ限界が来ると見切って、一気に「ちゃぶ台返し」して、「グレート・リセット」を図るべく、根底から人類の社会経済システム自体の「上書き」をしなくてはならないのでしょうか。まあ、時間的猶予がない中で、あまりnever endingな神学論争している暇はありませんね。人間にとっての「国家」「民族」「文化」といった根源的な問題を考えながら、恒久平和を実現するシステムとはどんなものか、聡明なるみなさまや、先哲のお知恵も拝借しながら、引き続き考察してまいりたいと考えております。

以上、4月の前編 、今回の5月の後編と2部構成で、あれやこれやと人類の未来について模索してまいりましたが、みなさま、いかがでしたでしょうか。前編では、ウクライナ危機と気候危機とエネルギー危機の位相を念頭に、ウクライナ危機における「核」の悲劇性、ウクライナ危機の「原因」としての「気候危機」の悲劇性、ウクライナ危機の「派生」としての「気候危機」の悲劇性等について、factに基づきささやかな論点整理を試みました。そして、今回の後編では、「脱炭素」と「脱国家」という2つの重要な鍵を念頭に、再生可能エネルギーとIoTを実装した「協働型コモンズ」をヒントに、グローバル・コモンズの責任ある管理を担保する「人類の明るい未来図」の素描を試みました。

いまから227年前に『永遠平和のために』を書いた先哲イマヌエル・カントが、まだ生きておられたら、そして、この議論の場に居合わせたら、ぜひ、この拙い素描についていかなるご意見をお持ちか、ちょいと伺ってみたいですね。どのような示唆をいただけるのでしょうか。さて、はたして、みなさまにとっての「人類の明るい未来図」は、どうなるのでしょうか。みなさまがご自身で自由に描かれ素描は、どのようなものになるのでしょうか。「人類の明るい未来図」は、我々「地球人」の共同作業です。手取り足取り教えてくれる親切な先生はいません。全員が生徒です。しかも、残念ながら、もはやあまり時間的余裕がありません。レポートの締切がもうすぐなのです。このままでは、人類全体が「f」評価をくだされること必至です。そうしたら、人類は、この地球という惑星から強制退場させれられることになるかもしれません。このささやかな試論が、みなさまの近未来世界への思考の一助となれたら、光栄です。

※30 2015年にジェレミー・リフキン(Jeremy Rifkin)が、著書『限界費用ゼロ社会(The Zero Marginal Cost Society)の台頭~モノのインターネットと共有型経済の台頭~』で提唱した新たなパラダイム。限界費用ゼロ社会の到来は、同時に資本主義の終焉でもある。それに代わり台頭してくるのは、人々が協働でモノやサービスを生産し、共有し、管理する新しい「共有型経済」である。

※31 EUでは2019年12月に欧州グリーンディールを公表し、2050年までに気候中立=温暖化ガス排出量の実質ゼロを目指すことを表明し、そのため、目標に向けた産業技術のイノベーションと並行して、それを可能にするための莫大な資金が必要になるため、EUは、投資家の資金と企業の設備投資を「脱炭素化」に集中させる金融戦略として、2020年6月に「タクソノミー規則」(EUタクソノミー)を法令化した。具体的にEUタクソノミーに適合する環境活動は主に以下の3つに分類することができる。①Own Performance(自らの環境負荷低減活動)=自らの活動そのものが環境目標に実質的に貢献している活動(低炭素エネルギーの生成など)、②Enabling Activities(イネーブリング活動)=自らの活動が他者の環境目標に実質的に貢献可能とする活動(低炭素を可能とする製品・機械など)、③Transition activity(トランジッション活動)=現在ゼロ排出ではないが、今後の低・脱炭素化に期待できる活動。

※32 ビッグ・ブラザー(Big Brother)とは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の中に登場する全体主義国家「オセアニア」に、1984年時点で君臨する独裁者。オセアニアでは、社会を支配するエリート(党内局員)が権力を維持するために国民(党外局員およびプロレ)に対して独裁権力を振るっているが、「ビッグ・ブラザー」はエリートたちの頂点にいるとされる。オセアニアの住民は、テレスクリーンを始めとする手段により、当局の完全な監視下に置かれている。住民は至るところに貼られたポスターに「見る者の動きに従って視線も動くような感じを与える例の絵柄」で描かれている「ビッグ・ブラザー」の姿と、その下のスローガン「偉大な兄弟があなたを見守っている(Big Brother is watching you)」により、絶えずこのことを確認させられている。

※33 イマヌエル・カントは、「1つの世界共和国という積極的理念の代わりに、戦争を防止し、 持続しながら絶えず拡大する連合という消極的な代替物のみが、 法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できる」と論じ、恒久平和を維持するシステムは、「世界共和国」 ないしは「国際国家 (Völkerstaat)」ではなく、むしろ、 「国際連盟 (Völkerbund)」 であると喝破している。イマヌエル・カント(1795)『永遠平和のために』p45